戯曲に就いて
2026年8月28日
最近シナリオとか、脚本とか、台本が多く使われ、戯曲はあまり聞かなくなった言葉です。ところが戯曲というと文学の扱いになり、シナリオ、脚本、台本となると文学扱いがされない風潮は今でもあるように思われます。
先ず見てみたいのは、戯曲という言葉が翻訳語なのでもとの言葉が何かと言うことです。英語のplayの様です。そうかplayか、それは大変なことになったと思ったのは私だけではないと思います。というのはplayは演劇の専門語ではないからです。音楽では楽器を演奏することですし、スポーツでは種目を問わず全般に使われていて、ファインプレーは誰もが知っているものです。小さな子どもが駄々をこねるのもplayです。プレイボーイは何をプレイしているのでしょう。
playを演劇そのものと訳す一方で、そのト書きとセリフを戯曲と別枠で言葉を編み出した明治時代の翻訳技術の優れたセンスには頭が下がります。
特に戯曲という言葉の創作能力です。演劇を音楽とみなしていたのに驚きます。古代ギリシャからの演劇の歴史を深く理解していた人いてくれたことに感謝です。私にとって素晴らしい舞台はいつも音楽体験だったからです。音楽を聞いたあとのようだったのです。
シナリオや脚本やシナリオを戯曲から別けようとしている向きもあるようですが、私にとって大事なのは、それらが音楽と呼べるほどの深みを持っているかどうかだけです。
私の演劇の音楽体験は安部公房の友達という舞台演劇でした。初めて演劇が音楽だと知った瞬間でした。
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