チューブの生涯

2026年3月28日

私の子どもの頃は歯磨き粉というもので歯を磨いていたのです。湿らせた歯ブラシを瓶の中につけて歯ブラシ粉を歯ブラシにつけて口に持っていってゴシゴシするのですが、一時口の中が粉だらけになるのが好きではありませんでした。気が付くといつの間にか歯磨き粉はなくなりチューブに変わっていて、粉に責められることは無くなっていましたが、今度は口中が泡だらけになり、歯磨きは苦手のままでした。
母方の祖母は長崎の大村で産声をあげました。明治32年、西暦でいうと1899年ですから19世紀の最後の年に生まれました。女学校を出て幼稚園の先生になるべく東京に出て来たのですが、当時の東京は長崎と比べてまだまだ田舎だったと口癖の様に言っていました。ちなみに祖父は1990に横浜の生まれて、やはり勉強のために東京に出てきたときには、東京は横浜から見ると田舎だったそうです。長崎も横浜も港町で外国との行き来が盛んでいち早く外国のものが生活の中にまで入り込んでいた様です。
祖母は歯ブラシのことを楊枝(ようじ)と言っていました。お泊まりで遊びにゆくと決まって新しい歯ブラシが洗面所に置いてありました。「楊枝を置いて置きましたからね」と言われて洗面所を見渡しでも楊枝の様なものを見当たりません。「楊枝は見つからないよ」というとそばに来て歯ブラシを手渡してくれました。「これ楊枝じゃないよ、歯ブラシだよ」というと笑って「昔は楊枝って言ったのよ」ということでした。祖母は石鹸のことをシャボンとも言っていました。祖母からはなんとなく異国情緒が漂っていました。
今使っている歯磨きが将来どうなるのかわかりませんが、今はまだチューブから出てくるもので歯を磨いています。最近のものは形が崩れない様な材質に変わっていますから最後までチューブの中身が均等に出てます。昔はチューブの形が崩れていって、最後の方は押し出しにくくなっていました。そのチューブの形が変形して中身がだんだん少なくなってくると、格闘が始まります。なんとか最後まで使い切りたいというケチ根性で必死にチューブを押しつぶすのです。そして最後のものができったと見切りをつけたところで、なんとも言えない満足感を得たものです。
次の朝から新しいチューブを使うことになります。箱から出てくる形の整ったチューブを見た時は小さな感動があるものです。今日からまたこのチューブとの新しい人生が始まるのです。

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