心が音楽をうみ、また音楽は心をうむ
音だけを考えれば、音とは宇宙からの贈り物ということができると思います。
私にとってはその後の音からの音楽の誕生はさらに深い出来事の様に思えて仕方がないのです。人間は音から音楽を生み出したからです。音楽という宝物が人類にもたらされたのです。
音楽は律動と旋律を見つけ出し、人間の生きる姿にふさわしいものとして発展して今日に至っています。
律動であるリズムと旋律であるメロディーが組み合わさることで、宇宙からの音を、音楽という人間の心を表すものに変えたのです。人間は音楽をうんだのです。人間の心がです。
人間の心は歴史の中で多くを体験しそれに育まれ複雑なものになってゆきました。今日の私たちの心は複雑怪奇なものです。音楽は心との対話を重ねることによって様々な変化を生みながら心に沿うような形で発展してきました。心と音楽は切り離す事のできないものとなったのです。お互いを励まし合う良きパートナーとなったのです。
例えばクラシックの中で現代音楽と呼ばれているものがあります。クラシックというのは古典的なという伝統にも似た意味のものなのですが、その中に現代音楽というジャンルがあるのです。この音楽普通に音楽として聞くのは簡単ではなく、複雑な専門性に満ちていて、本当に近づき難いものなのです。しかしよく考えてみるとそこには現代人の心の葛藤が現れている様なのです。現代人に心そのものが映し出されているのす。現代音楽が複雑で難しいのか、現代社会を生きる現代人の心の中が複雑で難しいのかは、簡単に言えないものであるのです。
もちろん現代だけでなく、それぞれの時代が心を作り、その心にふさわしい音楽が生み出されたと考えていいのだと思います。
現代を生きる人々は暗く思い空気の中を生きています。思い空気の中で鬱になっている人がいます。そこに明るい、あっけらかんとした音楽が生まれる土壌はないのです。しかし心の持ち様を変えることで、意識が変わります。意識が変わった時、それにふさわしい音楽がどこかに準備されていると考えることはできると思います。あるいは心のあり方を変えることができるような音楽を作れるのであれば、心に働きかけの心にも変化が生まれるのかもしれません。新しい意識の誕生です。
現代はシンプルな音楽が聞きたいのでないのでしょうか。しかし現代という複雑好みの風潮の中に突然シンプルが生まれても、トンマかバカかとしか受け取られないでしょうから、「複雑なシンプル」というものが求められているのかもしれません。人間はいつの頃からか難しいことを考えるのが好きになってしまい、挙句のはてにその中で幸せを感じる様になってしまいました。そして出口の見つからない中で堂々巡りが始まったのです。難しく考えることから解放しなければならないのですが、なかなか難しい仕事です。
ピアノという複雑なことを得意とする楽器が生まれたのはまさに知性中心の時代でした。今は知性を解放しようとしている流れのような気がしています。知性を無碍にしようとするのではなく、知性以外にわたしたちを豊かにする物があるということに気づくことなのです。
もう人間の知性は極まってしまったと考えてもいいのではないかと思います。時代は少し前からAIと言う人工頭脳が比重を持つ時代になっています。知性はAIに任せようという時代がすぐにやってきます。
知性に頼った有志ゆうな仕事は、最も簡単にAIに奪われてしまいそうです。ということは人類は心置きなくシンプルに向かえる様になるのです。このシンプルは実は直感に近いシンプルです。
心と音楽の今までの関係は、心が音楽を導いてきたところがあります。心の表現の場としての音楽でした。これからは音楽が心を導く時代なのではないかと思います。シンブルな音楽に導かれて、心がどんどんシンプルになってゆく、考えただけでなんだかワクワクしてきます。
ライアーはそこでどんな働きをするのでしょうか。ライアーが複雑な音楽がに糧というのはもしかしたら大きなメリットなのかもしれないのです。






