ウィーンは踊る

2026年5月1日

ウィーンは踊ると初めて聞いた時、すぐにヨハン・シュトラウスの有名な幾つかのワルツを思い浮かべたものでした。青き美しきドナウの様なものです。その後色々と音楽と親しんで行くと多くの作曲家によって様々な舞曲が作られていることを知り、舞曲というのは西洋の音楽の中心的な存在だったのだと知ることになります。
西洋音楽の枠を超えて世界の音楽に目を向けると、そこで音楽が踊るということに深く結びついていること、しかも踊りが俗な世界から神聖な世界までを包括したものだという事実に出会います。人間の営みの中で一番根本に位置しているのか踊るという行為だったのです。
ハワイのフラダンス、ジャワのガメランに合わせての踊り、フラメンコ、ギリシャの神殿に奉納する踊り、日本の神々に奉納する雅なる踊り。まだまだ数え切れないほどの踊りが聖俗を含め地球上には数多く存在します。特に時代を遡ると音楽と踊りは切っても切れない関係にあったものだとわかります。
驚かれるかもしれませんが、今日の合唱は、そもそも輪になって踊る輪舞のことだったのです。今日にも残る日本の盆踊りをイメーしすればいいと思います。合唱は英語でいうとコーラスで、これはギリシャ語のコロスに由来します。コロスは古代ギリシャでは、ホメロスの韻律を持った詩を歌いながら、輪になって踊ったものだったのです。今は横に整列して聴衆に向かって動かずに歌いますが、これは新しい時代に登場した形なのです。バラードという種パンのピアノ曲で有名な音楽も同じ様な起源を持っていて、そもそもは歌いながら輪になって踊ったものだったのです。今でも西洋の詩のジャンルには、バラードというものが存在しています。そもそもは韻律の整った詩であり舞曲だったのてす。
西洋音楽を見ると、ルネッサンスからバロックまでの音楽で組曲と呼ばれるものがあります。それらはいくつかの舞曲を組み合わせたものでした。しかしすでにその頃になると舞曲とはいうものの器楽曲に変化していて、その音楽で実際に踊れるかというと、舞曲とは名ばかりで踊るということからは離れてしまったのです。
体を動かしながら音楽を体験することから、体を動かさずに客席に座りながら音楽を楽しむ時代へと変化したのです。私はこうした傾向をいつも「音楽が抽象的になった」と言っています。音楽が頭で理解されることを欲するものになったとも言えるのかもしれません。音楽の楽しみ方、音楽との戯れが変わったのです。私がよくいう知的に音楽を理解する様になったのです。
そんな流れが西洋音楽の中心になり、ソナタ形式のような器楽曲として独立する動きが主流になります。

さて「ウィーンは踊る」という言い方ですが、これはナポレオンによって統治された1810年代のウィーンの悲しい歴史の一コマを表したものなのです。当時民衆が集まって会合を開くことは、政治的な反乱を引き起こす原因と見做されナポレオンによって禁止されていました。集まって何かをしていい唯一のものが、ダンスパーティーの様なものでした。それを歴史家が後に命名したのが、ウィーンは踊るだったのです。
ウィーンで生まれウィーンで育った生粋のウィーン人であるシューベルトは、当時の民衆に愛されたで音楽をピアノ演奏用にして、膨大な量の舞曲として残しています。分厚い二冊の楽譜に残されたそれらの舞曲は、その音楽を伴奏に実際に踊れるものだったのです。実は例外的とも言えることだと言えます。
これらの曲は大抵は短いものです。驚くほど短く、耳触り良いメロディーです。大事なのは、強調しますがそれに合わせて実際に踊ることができるということです。しかし民衆が踊り、戯れるための音楽と思いきや、実は多くの著名なピアニストによって取り上げられ演奏されているという不思議な一面もあります。耳触りがいいのはいつものシューベルトなのですが、簡単そうに見えて実際に演奏すると確かな音楽性の裏打ちなしには弾きこなせないものでもあるのです。
私はよく、日本の和歌の三十一文字、俳句の十七文字にまとめられた短い詩に似ていると思いながら聞いています。古今和歌集をはじめ幾つかの勅撰和歌集や芭蕉や蕪村や一茶の俳句集を読みながら、言葉に寄り添っている様に、シューベルトの舞曲と名付けられた小さな音楽に身を委ねているのです。大作曲家たちのピアノソナタなどは違いシューベルトの舞曲には近くにある、わたしたちの人生が呼吸しているような身近さを感じるのです。あまりに身近すぎて、こうした音楽的戯れが本当は大事だったということが忘れられているのがわたしたちの時代の落とし穴ではないかと感じています。
ふと寄り添い、一緒に戯れることのできる音楽を聞いている時、一服の美味しいお茶をいただいている時のような、それは至福の時と言えます。

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