月食、あるいは影の力 

2018年8月22日

7月27日、ドイツは皆既月食でした。地球の影に入ってしまった赤みを帯びた月を天体望遠鏡と肉眼と交互に眺めながら、影の不思議を堪能していました。

影というのは影の部分と言う様な言い方が象徴しているように大抵否定的な意味合いを含むものです。ところが人影とか、星影とかという日本語は、そのものを指しますから影をマイナーには扱っていません。影は日本語では陰でないのです。そしてこのような捉え方は他の言葉には置き換えられない日本語独特の言い方なのです。

日本的感性は影をポジティブなものと見ているのです。その感性は谷崎潤一郎が陰翳礼讃で取り上げたように日本の美の原点かもしれません。

話が飛躍してしまいましたが、皆既日食に戻ると、今回の皆既月食は地球の影の中の月を見ながら影の面白さの発見だったと言えそうです。

私が覗き込んだ望遠鏡の倍率は大したことはなく、月がすっぽりとレンズの中に入るほどのものでした。まず最初の驚きは、月はまん丸ではなくしっかりと球体だったことです。地球の影の中で月は立体感をもったものでした。ですから何度も繰り返し望遠鏡を覗き込んでしまいました。大げさでなく感動しました。なぜ影の中で月は本来の姿を表すのかと不思議でした。

 

光と影、これは生と死と同じで対になっているもので、切り離せません。生まれれば必ず死にますし、地上では光があるところには必ず影が付いて回わります。

ところが影を伴わない光、光一元という考え方もあります。一体どんなものなのなのでしょう。単なる空想上の現象なのでしょうか。

太陽の光を例にとって話を進めて見ます。

太陽系は太陽からの光で満ちています。そう考えていいはずなのですが、1969年のこと、アポロ11号によって月から送って来た写真は常識を覆しました。その時の驚きは今でも昨日のことのように覚えています。その写真で見た明るい水色の地球の周りは真っ暗だったのです。太陽からの光に満ちているはずの宇宙は光一元どころか真っ暗な闇だったのです。宇宙空間は光に満ちているはずなのに真っ暗闇という事実をそのとき理解できず、周りの大人に聞いて回ったものでした。

そこは光に満ちています。間違いありません。ただ光はあるのに見えないだけなのです。存在しているけれど見えないのが光ということです。光は自らを見えるものにはしないのです。相手がいるということです。

月は太陽の光を反射して、私たちに見えるものになります。私たちは地球から月という対象物に反射した太陽の光を見ています。と同時に光に照らされた月を見ています。太陽からの光がなければ月は見えないのです。ここで興味深いのは光が見えるようになるためには対象物、あるいは障害物といったほうがふさわしいかもしれません、が必要だということです。

月は障害物という働きを通して光を反射して光を見えるものにして、同時に自らの存在をも見えるものになるわけです。光は障害物がないと見えるようにはならないのです。狐に化かされたような話です。

 

このことに関連して思い出すのは、ファラデーというイギリスの物理学者がクリスマスに子どものために行った講演です。ファラデーはその中で、ろうそくの光はろうの中のススがあって初めて明るい光を発するのだと言っています。確かに指でロウソクの炎の中を横切ると指はススで黒くなります。そのススに反射するからロウソクの炎は明るく燃えるのです。炎の中に不純物がなくなると、炎は見えなくなってしまいます。純度の高いガスバーナーの炎はロウソクの炎とは違い周囲を明るく照らすことはありません。

光が見えるようになるには障害物となる不純物がなくてはならないのです。

つまり光だけの世界というのは光に満ちていても闇に等しいものと言えそうです。

まるで人生というのは苦労とか苦しみがあって初めて見えてくるとでも言いたげです。社会は、役に立たない人間がいて初めて輝くのだと言いたげです。

 

 

 

 

 

皆既月食とは、太陽、地球、月の順に一列に並び、月が満月の状態で地球の影にすっぽり入るという現象です。

月が地球の影に入ったら見えなくなるというのではなく、皆既月食中も見えるには見えています。ただ地球によって太陽からの光が遮られるためいつもと比べると満月とはいえ反射する光が弱くはなり、ぼんやりと赤みを帯びた状態が皆既月食です。薄ぼんやりした赤い満月を望遠鏡で覗くと目の前にピンポン球、野球のボール、テニスボールのような球がくっきりと見えます。単に平面的にまん丸のお月さんではなく、ボールのような、手にとって見たくなるような球状の月だったのです。

 

影のなせる技だと思います。いったい影のどんな力が、月を立体的にするのでしょう。

 

 

 

 

 

ピークは夜10時22分でした

すぐ近くに赤い星、火星が位置していたのですが、並んだ二つの赤は対照的でした。

 

火星は今地球にとても近く、そのために赤い点に見えるほど輝いて、望遠鏡で見ると線香花火の最後の赤い玉のようです。

ところが地球の影に入って赤くなっていた月はいつもの元気な満月とは打って変わって、とても苦しそうでした。望遠鏡を通してみると、月はいつもよりずっと立体的で、普段はまん丸の銀盤のように平面的なのとは別物のようでした。実は月はただ丸いだけでなく、球だったのだと当たり前のことに気づかされました。

それ以上に印象的だったのは月食の月は産みの苦しみの姿でした。ウミガメが満月の夜に浜の砂に穴を掘ってそこに卵を産み落としている姿を思い出していました。その時ウミガメは目に涙を浮かべて産卵の仕事を全うします。

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