気になる時間

2026年6月18日

やはり時間のことが気になります。私たちの生活に欠かせないものですから極めて日常的であり、同時に哲学のテーマに頻繁に投じようしたり、オカルト的なものでもありと、非日常的なものでもあるものです。こんな多彩なものは私たちの周囲にそんなにあるものではないと思います。時間という見えないものがもしかしたら人生の主役なのではないかと思いたくなるほどです。
さて、時間とは実態のあるものなのでしようか。それとも器のようなものと見たらいいのでしょうか。
時間の存在感というのか時間との関わり方が昔とは違ってきていています。ほんの一昔前まで時間は道具のようなものであったような気がするのです。例えばフランクリンの「時は金なり」ですが、本当の意味がわからないまま使っていますが、基本的には時間は金勘定の手段だと言っていいものと理解しています。道具であるために時間は測られたといつてもいいのです。古来から時間は手段であり道具でしたから、時間を測る工夫は色々と編み出されています。日時計、水時計のように自然現象を使って時間を測ってから、今日のより正確な時を刻む時計を作る時計職人達の情熱まで人類は時間を計り続けてきました。天体の動きから計算しで産みださりたのが測られる時間だったのです。しかし宇宙は時計の時間で動いているわけではないというのが正確なところです。正確な時計は便利で重宝で生活に役に立つものですが、実際はなんなのでしょうか。ストレスは近代に生まれ、現代人を悩ませています。ストレスの原因は時間に追われることなのです。限られた時間の中で終わらせなければならないという、時間からの脅迫によってストレスは生まれたのです。便利で重宝がっていた時間に今は逆に縛られてしまったと言えそうです。
この現象は、AIの出現によく似ています。今はみんなが便利がって使っていますが、いつか必ずAIの呪縛に苦しむ時が来るのではないのでしょうか。

最近時間どの付き合い方が変わったと言いました。時間は測るものではないと言う人もが出てきています。さらに時間などというものは本来無いのだということも言われるようになっています。無いのなら測る必要もないということですから、その境地に達すればストレスもなくなるかもしれません。
もう一つ特徴的なのは時間の流れの見方です。過去から未来へという流れがそもそも時間の流れだったのですが、未来から過去に無かつて流れる時間もあると主張する人もいます。流れではなく今を強調する人たちはそもそも時間が流れるということとは距離を置いています。今ということを突き詰めれば永遠に繋がるとも言います。そもそも東洋的な考え方の中に時間は西洋的な捉え方とは違っています。永遠の今ということです。

東洋には時間との関わり方で西洋とは大きな違いがあります。東洋は時間はあってないようなものという扱いをしていたようです。現代人の時間との関わり方はどうやら東洋的なものに近いような気がします。

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