尺八賛 - 尺八の一音

2011年7月9日

また一音の話しか、といわれてしまいそうですが付き合ってください。一音だけでは音楽ができないと思っている人は是非一読を。

一音のことを気にし始めて、50歳になった時に金管楽器を手にしました。私の前歯の関係でマウスピースの大きなトローンポーンを始めることにしました。

管の長さを調節しながら音程をとるところが、粋な楽器だと感じたこともあります。

一音を端正込めて弾くことに、否、吹くことに初めて前身全霊で専念しながら、手ごたえのある発見がありました。

一音に感動しながら毎日吹くうちに、力を抜いたときにいい音が出ることを呑み込む所まで来て、悦に入っていた頃、ふと尺八の音が気になったのです。

どちらも管楽器で、一音が勝負という世界ですが、勝負のしどころが全然違っているように思えたのです。

尺八の一音は、金管楽器が一音という意味では、一音と言えない世界のものです。

聞けばそうだと解るのですが、何が違うのか理屈ではわかりませんでした。

 

ピアニッシモの表紙を書いてくださった檜山さんは尺八奏者でもあります。一度盛岡でジョイントコンサートをしました。

先日かれをお尋ねした時に、最近買ったという尺八を聞かせていただきました。古い楽器で、尺八のストラリヴァリウスと彼は言っていました。

素人の耳にも檜山さんの言葉が納得でき、久しぶりに聞く生の尺八の音に、改めて尺八の偉大さを認識したのです。

尺八は世界に類のない楽器だと言われます。一音がただの一音でないところがそういわせるのではないかと私は勝手に決めています。

その尺八のストラリヴァリウスは、先ず音に香りがあり、色もあり、そして一音しか吹いていないのに一音というだけでは済まされない響きが聞こえるのです。

西洋音楽はもとより、邦楽の世界からもどちらかといえば白い目で見ら、ほとんど一人ぽっちの世界を奏でている尺八です。

私たちが普通に言う一音ではない一音が尺八からは聞こえ、それが他の楽器と合奏する時に邪魔になるのではないか、そんな気がするのです。

だからといって尺八に鞍替えするつもりはなく、私はライアーであの尺八の一音の様なものが弾けたらという願いを抱くようになっています。

私はできる様な気がします。

以前ドイツでライアーでバッハを弾いたら、仲さんはバッハを浪花節でやっていませんか、といわれたことがあります。

私の演奏は、日本人が感じるバッハでいいと思っていますから「そうかもしれませんね」と軽く流しておきました。

浪花節まで来たのなら、もうひと踏ん張りして、ライアーを弾く同僚たちになんといわれようと、「尺八のようですね」、といわれる演奏をしたいものです。

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