自我の仕業、 思春期 その五

2013年6月27日

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では始めましょう。

 

思春期の嵐が和らいでくると「大人」を感じます。

周囲の目も大人っぽくなったことを認めますし、本人にも大人の意識が生まれます。

渦中から抜けた時、それまでの自分の行動がなんとなく子どもっぽく見えるのです。たかだか二、三年、長い人で数年の違いですが、周囲が別のものに見えて来るのです。

 

自我の仕業です。

自我のことは、いろいろに言われていますから、みなさんにも前知識が沢山あると想像します。何故そんなにいろいろにいわれるのかというと、答は簡単で、自我のこと、私たちはまだよく解っていないのです。

逆にこの自我をどうとらえるかで、精神科学では流派ができるほどです。

 

この自我ですが、ここではこんな風に話しを進めて行きたいと思います。

自我は透明なものと言ったらどうでしょう。透明ゆえ何色と言えないのによく似ていて、透明は言葉にしようがなく、敢えて言うと老子の言葉の「真実は真水の如し」です。

ちなみに心で「トウメイ」ということをイメージしてみてください。

水晶の様に結晶したものでも好いですが、透明と言うイメージから生まれたものなら何でもいいです。透明は始め、心の中に特殊なもとして居座ります。そのうち心の中に生まれた透明に、私たちの日常の思いが映って来るのではないでしようか。透明は外に向かって働きかけることはしません。あくまでも受け身的です。が、そもそも備わっている特別な力があって、そこに触れることで今までの自分が変わって行く様です。

 

自我が心の中に降りて来てしばらくすると、順風に気持ちよく乗っていた心は自我の透明さ触れ、突然方向転換を起こします。他の言い方をすれば今までの価値観とは全く違う価値観との出会いです。自我の強い力は、受け身的なのですが、それまでの自分を目の前にさらけ出します。始めは無意識ですが、確実に自意識の誕生です。

自我は先ず「自分がいる」と言うことを教えてくれるものですが、自分がいると言うことが解ってどうなるのでしようか。何の役に立つのでしょうか。自分を自分に向けて価値付けているわけですから、他の人にとっては何の意味もないことです。その人にとってしか意味のないことが今自分の中で起こっているのです。

「自分がいる」、そんなことは子どものころから解っていたと考える人もいるかもしれませんが、自分の種類が違います。今は誰に支えられることが無くても「自分がいる」と感じられるのです。

 

自我の透明を体験した自分は、始めは自分が分裂したように感じるものです。矛盾です。アンビヴァレントです。

自意識の誕生は、自分が自分であり自分でないと言う発見といえるかもしれません。

自分が自我を通して生まれ変わるに従って心の中には落ち着きが生まれます。

 

私たちの心の中に成長を通して幾つもの層が生まれます。自分という意識もそれに応じていろいろと変化します。

幼児期から学童時に移行する時には、多少は幼稚だった、幼かったと感じることはあっても、その移行は劇的なものではなく、やんわりとスムースです。幼児期の頃に、大体五歳の頃ですが、幼児期の思春期と呼ばれている時期があります。そのころに幼児は生意気になったり、理屈っぽくなったり、親や先生の言うことに反抗する様になります。思春期とは言いますが、体の変化などはほとんどなく、心の中での変化です。反抗期と言う方がその時の状況に見合っています。

 

学校に行く様になって、始めの一年、二年はまだ幼児期の延長ですが、三年目あたりからやはり思春期に近いことが子どもの心の中に起こります。

突然寂しがったり、しくしく泣いたり、時には「お母さん死なないで」とわけの解らないことを言ったりします。「わたしも死ぬの」と言っては一人で閉じこもったりするのです。ほとんど前触れもなく子どもの心の中に生まれますから、親御さんは「なにをそんなに気にしているのか」と戸惑うものです。誰か身近な人が亡くなったと言うことであれば理解もできるのでしょうが、そういうことが原因で心に変化が起こるのではないのです。周囲への信頼が突然引き潮の様に弾いてしまったのです。大好きだった人が他人に見えるのです。親に対しての信頼、家族に対しての信頼、先生に対しての信頼と全ての信頼がどこかに消えて無くなってしまったのです。ここでもあたらしい自分の誕生があります。この時期のそのお子さんが将来何をしたいのかを見通してしまう様な出来事もしばしば起こります。ギリシャの発掘で有名なシュリーマンはちょうどそのころに「神話で聞いた話しは本当だ」と直感し、そのために動き始めます。始めは医者になり、お金をため、40歳になって発掘を始めて様々な遺跡に出会うのです。

 

思春期の前に、自分に対しての意識の変化、自分は誰かに悩むこと、親とのかかわりの変化と、幾つかの前段階がありますが、本当の思春期は自我という大きな力が働くことで、今までの変化に比べると激しいだけでなく、深い変化が生じます。

深刻なことが思春期には起こっているのです。

自我の仕業です。

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