木曜版 1 世界観のすすめ

2014年3月27日

チェスタトンはブラウン神父という探偵小説でご存知の方もいらっしゃると思います。実は思想家でした。反骨精神に満ちた、伸び伸びとユニークな考えを持った思想家でした。選挙に出馬したりして社会的な方面でも行動した人です。

思想家と探偵小説と何処で結びつくのか興味深いところですが、思想家が探偵小説を書いてはいけないという約束はなない訳で、他にもシャーロックホームズの生みの親コナン・ドイルも思想家でした。最後のシャーロックホームズを書いた後は神秘思想家としてイギリスを初めアメリカでも心霊世界のことを話しをして回っています。思想的背景の乏しい、犯人探しだけで筋が進んで行く探偵小説は面白さに乏しく深みがないのですぐに飽きてしまいます。

これは探偵小説に限ったことではなく、人生のすべてにいえることです。どんな状況であっても思想的背景は大事です。チェスタトンの探偵小説のユニークさは、犯人が誰だったかを暴いてから書けたところです。犯人が解っているのに読める探偵小説、それこそ一級の探偵小説と言っていいと思います。本末転倒の様な事を平気でしてしまう変わりものでした。

 チェスタトンから学んだことは自由の意味です。何物にもとらわれない自由です。彼の行動の自由奔放さは彼の考え方が自由であったから生まれたといえます。自由に考えることができること、このことの大切さに目覚めさせてくれた人です。それだけでなく自由の背後にはしっかりした世界観がなければならないことも彼から学んだ大切なことです。

思想家の思想家たるゆえんは何かというと、世界観があるかどうかということです。世界観のない思想家はただのおしゃべりです。哲学者、思想家と呼ばれている人たちの中に世界観を欠いた人は意外と多いもので、時代の風潮に合わせてものを言っているだけの人たちです。評論家の中にはいろいろな人がいるのでしょうが、他の人のことをとやかく言っているだけのおしゃべりです。世界観などといわれると、高尚な、難しいもののように思われがちですがそんなことはなく、世界観は日常生活の中にも脈々と生きているものですから、案外普通の人も気が付かないだけで世界観を持って生きているのです。

世界観とは何なのでしょう。意見と世界観とは似ているのですが違います。ここはとても繊細なところです。意見は自分を守るものだったりします。また自分の意見に捕らわれることがあり、自分を固めるものです。違う意見と戦うこともありますから、自分の意見をしっかり言わなければならないのです。つまらない評論は意見だけです。

世界観は自分を守るのではなく、自分を解放します。世界とのかけ橋の様なものですから、私たちを解放しつつ世界とつなげてくれます。世界観を持って、初めて世界の住人になるのです。

人の意見を聞いてそれに同調しても世界観を持ったことにはなりません。デマやプロパガンダに翻弄されている人たち、あるイデオロギーにかぶれてその立場からしかものが言えない人たちには意見はあっても世界観がないのです。イデオロギーへの隷属で自由とも一番遠いものです。ですから世界観を持たずに生きている人は暗く非個性的な顔をしています。世界観を持つと解放的になりますから明るくなり、しかも美しくなります。

学問についても言えることで、世界観を持った学問は輝いていて、人類の宝です。ところが学問がただ社会の要求に追従しているだけのものだったり、学者先生の意見を代弁するものだったりすると、とても貧相なもので学者先生たちの間のどんぐりの背い比べで終ってしまいます。

 

今の政治には決定的に世界観が欠けています。現実の政治世界を見渡すと、政治の世界は権力(意見)をふりまわしているだけで、低俗な国取りゲームです。更によくないのはイデオロギーに振り回されている、世界観とは全く逆の不自由な政治社会が横行していることです。人々の幸せを実現しなければならない本来の政治は顧みられず、踏みつぶされ、葬られてしまっています。政治家たちが自分を守ることばかり考えているのかもしれません。世界とつながった解放された世界観を持った政治家がいない証拠です。政治家こそイデオロギーの隷属から解放されている自由人がなるべきだと思うのですが、いかがでしょう。右でもない、左でもない、中庸を知った自由な人に政治を預けてみたいものです。

政治家だけでなくみんなが世界観を持って生きるとなれば、そこはもうユートピアです。

 

 

 

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