金曜版 1 音楽からの伝言

2014年3月28日

若者たちは音楽漬けです。

道行く人も電車の中も見渡すと若者たちの耳には決まってヘッドホーンです。街の雑踏の中で騒音から逃れるには一番の方法という見方もできるでしょうが、それ以上の理由がありそうです。

落語を聞いている人だっているかもしれないし、語学の勉強をしている人もいるとは思いますが、たまたま隣に座る人のヘッドホーンから漏れてくるのは、決まって音楽です。

音楽を一日中聞く習性から音楽の秘密に迫ってみたいと思います。

 

ヘッドホーンの中身は音楽でないといけないのです。落語、朗読、語学と音楽以外にも聞くものは沢山あります。しかしそれ等は限られた時間、聞くもので、一日中聞いていられるのは音楽だけです。何故、音楽だけがそんな飛んでもないことができるのでしょう。理由の一つは、音楽はずっと聞いていなくても気にならないからです。落語や朗読などそうはいきません。ずっと聞いていないと話しがつながりませんから興ざめです。音楽はずっと聞いていなくてもいいのです。それで充分御役目は果たされているのです。なんだか無責任なことを行っている様ですが、これは芸術としての音楽の本質につながる大切なところです。

音楽は大真面目に付き合う必要はないのだということです。

誤解をしないでいただきたいのですが、音楽そのものは大真面目なものです。作曲家は真剣に創っておられるのでしょう。しかし受ける側はいい加減でいいのです。いい加減がいいのです。大真面目に聞かなくていいもの、それが音楽です。ところが人間は素晴らしいもので、そんな風にいい加減に聞いていてもしっかり聞いているものです。直観で聞くからです。

ということは、音楽は大真面目に付き合う必要がないのではなく、大真面目に付き合っては逆に害になるものと言うことになります。直観にとって大真面目ほどよくないものはないのです。音楽というもの、直観で聞いているうちは生きものですが、理解力で聞くようになると羽根をもぎ取られ、地上に落ちて、果ては解剖台の上に載せられた鳥です。

私の独断ですが、クラシック畑のいわゆる現代音楽について少し言います。このジャンルの音楽は知性の産物です。つまり音楽に一番よくない大真面目の罠に引っ掛かってしまったもので、ミューズの神様から見放された音楽と言っていいものです。これだけは音楽といえども一日中聞いていられないものです。

 

全ての芸術は音楽に憧れていると言いましたが、全ての芸術は音楽の様に直観で受け止められることを願っていると言い変えたくなります。

現代のヘッドホーン世代は、直観への憧れを代弁しているのかもしれません。

 

 

 

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