火曜版 2 エイプリールフール

2014年4月1日

ドイツというと真面目なお国柄ですが、四月一日のエイプリールフールをみんな手ぐすねを引いて待っています。今日は世界中で練りに練られた極めつけの嘘が空中を飛び交います。きっと涎が垂れる様な上等な嘘が飛び交っているのでしょう。聞けるものなら全部聞いてみたいものです。

 

キリスト教の聖書にはアダムが初めて嘘をついた人だと記されています。神様が自らの似姿として作ったアダムですが、神様はそこに嘘を込めたのでした。でも嘘をつくアダムは苦しそうです。

 

現実の世の中は混沌としていて、本当のような嘘と、嘘のような本当が混ざっています、これを見分けられるようになれるのはただただ齢を重ねることです。人生経験だけがそこで使いものになる物差しです。

今は、悲しいかな本当のように見える嘘が圧倒的で、これはどうも歓迎できません。そんなサギの様な嘘を言う人の顔はひきつっています。嘘のような本当が言える様になると少し違います。その人たちはユーモアのセンスがあってチャーミングです。

 

最低の嘘は政治の舞台に登場します。嘘は政治的権力のための無くてはならない道具で、お互いに強烈な親和力がありますから要注意です。

 

子どもはある年齢に達すると嘘をつくようになります。親御さんが始めて自分の子どもに嘘をつかれた時のショックは大変なものですが、傍から見ていると愛嬌があり、無邪気なものです。「自分・自我」の誕生に伴って嘘も誕生するものでごく自然な現象です。

政治の場でのどす黒い許し難い嘘は別として、許せる範囲の嘘を突き詰めると「詩」に辿り着きます。ドイツの文豪ゲーテは晩年「詩と真実」をまとめます。「嘘と真実」と言うタイトルにしてもいい様なものだと思っています。上等な嘘は立派な詩であるといいたげです。

 

 エイプリールフールがあるのなら、本当のことしか言ってはいけない日があってもいいはずなのに、今はまだないのが不思議です。本当のことって興味がないからではなくて、嘘は見破る楽しみがあるけど、本当のことというのは空気のようで手ごたえがないからです。老子が言うように、真実は真水のごとしなのでしょう。

 

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