水曜版 6 病は気から

2014年5月8日

気とは意識のことです。

先ず意識ですが、脳生理学、脳神経の専門医が話してくれたのですが、脳の働きが究明されても意識の問題はそれでも解明されないのだそうです。意識とは解らないものなのです。

気の持ち様、意識の持ち様で病気も良くなることは科学的ではないですが、一般にはよく知られていることで、多くの人がそれを信じています。だからといって、気とか意識が宗教的信仰の世界のものだというつもりはなく、日常的なレベルの問題として多くの人が信じているのです。しかし意識というのは自然科学の範囲で片付けられるものではないようです。心理学も意識には触れたがりません。精神科学も意識は苦手です。私の知る限りではシュタイナーの霊学だけが意識を取り上げ、こんな風に定義しています。

エーテル体とアストラル体が出会う時意識が生まれる、というのです。

とはいっても、これを念仏やお題目の様に暗記しても、意識のことは解らないままです。ここでいうエーテル体とはアストラル体とは一体何なのかと問うと、問題は再び迷宮入りです。

 

気とか意識ということで扱われるものは私たちが普段、意志と呼んでいるものに近いものがあります。この意志というのは未来を向いています。未来というこれから来る時間の中でしか意志は展開しません。現状で立ち止まっている間は何も起こらないのです。意志するとは未来に向かうということです。ただ漠然とした未来ではなく、具体的な未来です。未来が具体的というのは矛盾があります。未来は誰にも解らないものだからです。

解らなくていいのです。未来を予言する人がいますが、もしかしたら大まかな設計図程度のものは見えるのかもしれませんが、具体的なものは霊能者でも、もしかしたら神様でも解らないのです。

そもそも私たちが解らないと感じている時、そこには未来が生きています。解らないというのはそもそも答えになっていないですが 、答えにならない予感のことです。だからわからないと自分に言えるのは大事なのです。そこから何かが始まるからです。

気の持ち様で病気が良くなるとは限らないです。問題意識を変えれば解決が見えてくる保証はないです。しかし人間は予感の中で、案外しっかりと生きられる存在です。元気になることを予感出来るのです。良くなるという意識で物事に接することができるのです。

過去に捕らわれると病気になってしまいます。気を持ち直すのです。未来志向型になるのです。未来に託す勇気が、気であり、意識ということで、そう思った時点で未来に向かっているのです。

病気の人はなぜ自分が病気になったのか知りたがります。人間は過去に引き戻されがちな弱い存在です。充分気を付けてください。

 

 

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