火曜版 6 パンを切るのは文化

2014年5月6日

「パンがきちんと切れる様になったら結婚できる」、というのは古くからあるドイツの諺です。生活の智恵から生まれた、なかなか妙を得たものですが、今ではほとんど聞かれることは無くなってしまいました。

理由は、パン屋さんでパンを切ってもらう人が増えているからです。あのパンの国ドイツで?と思われるかもしれませんが、ドイツにしてもすでにこの様なテイタラクです。

ドイツのパンは日本の食パンの様に柔らかくないので、切るのは大変です。そこで使われるのはパン切り包丁として日本でもおなじみの、包丁の形はしているけれど実際は鋸の様なものです。

余談ですが、私はこの鋸包丁が嫌いで、日本の菜っ切り包丁を使っています。切り口の「パンの目?」がきれいで、鋸包丁ですとざらざらして、バターを塗る時塗りにくいのです。

その堅いパンを一枚一枚同じ様に切るとなると、包丁さばきの腕が試されるというわけで、そこからこの諺が生まれたのでしょう。実際に観察してみると、斜めに切る人、厚さがバラバラなといろいろなパン切り苦手があります。実際にやってみれば解りますが、パンを切るというのは難しいものです。

 

パン屋さんで切ってもらう時、切るのは包丁ではなく機械です。一昔はそれを置いているお店もあるという程度でしたが最近は何処にでもあるものになってしまいました。

パン切り機械は、幅80センチ、糸鋸の刃の様なものが等間隔で上下で固定され、50本程並んでいるだけです。刃が軽く上下してそこにパンを通すと三秒ぐらいで全部切れます。等間隔にまっすぐにです。これでは家で切るのがばかばかしくなってしまうわけです。特に主婦はドイツでも忙しい人たちですから。

このあいだ行列しているお店があって車を止めて寄ってみました。お店の外に人があふれるなんて、日本では珍しい光景ではありませんが、ドイツではめったにないことです。興味津々です。近づくと匂いからしてパン屋さんで、並んでいる人に話しをきいたところ、このパン屋さんは一枚一枚切るパン屋さんということで人気があって人が集まってくるということでした。

先ほど紹介したパンを切る機械ではなく、丸い刃が回って、そこにパンを当てて切るので、一枚一枚しか切れない訳です。しかし好みの厚さの希望を出すことができるというわけです。

一枚一枚切っていたら時間がかかるので外に溢れていたわけで、しかもいろいろと講釈のおひれが付いて、「一枚一枚切ることで味が違う」というのです。ドイツですから「健康にいい」という落ちが付きます。「それよりも、ご自分で切られたらもっと健康なんでは」、と思いましたが、「そうですね」と軽く相槌だけ打って帰って来ました。

昔も朝一番にパン屋さんに行くと、お客さんが多い店はありました。ただ理由が違います。パンがおいしかったのです。美味しいパンを求めて人が並んだ昔と、パンを一枚一枚丁寧に切ってくれるから並ぶというのは何か違います。

 

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