王羽佳 Yuja Wang  ユジャ・ワンさんのピアノ

2017年5月2日

今世の中を沸かせている中国生まれで、カナダ、アメリカで育った今年三十歳の女性のピアニストについて書きます。
彼女のピアノ演奏のを初めて聞いた時のことをよく覚えています。度肝を抜かれるくらい驚いたのです。でもそのときは驚いただけでした。というより驚きがすごくて他に何かを感じる余裕がなかったのです。驚いたのは技巧とスピードでした。卓越した技巧を駆使した演奏スタイルは、どちらかと言うと私のこのみではなく、初めて聞いた時には普通のアクロバット的な超絶技巧の持ち主達の演奏と区別できなかったようです。

しかしその後繰り返して聞いていると、鍵盤のアクロバットが持つ表面的な妙技だけではなく、音は技巧に翻弄されることなく一つ一つ、一音一音演奏者としっかりと対話していることを発見したのです。とてつもないスピードで弾かれている時にも、対話が成立しているのです。まさに瞬時的対話なのですが、彼女は音を放り出すようなこと、勢いに任せて弾いてしまうようなことは決してしなくて、音はどんな時でも彼女との対話を終わらせてから響に変わってゆくのです。
これは特筆すべきことだと思います。
それからというもの色々と彼女の演奏を探し始め繰り返し聞きました。
ピアノで驚くべきことが起こっている、しばらくするとそんな印象を持ち、彼女の演奏している曲目を他の人と比べてみたりしました。その中には今まで何度も聞いたことのある人たちの演奏も沢山ありました。改めて彼女の演奏をフィルターとして、それらの今まで馴染んできた演奏を聴くと言う作業です。それはそれは楽しいものでした。そこでの発見も、彼女の演奏がただ技巧を衒ったものではない、ということでした。

彼女がよくプログラムに載せるのは近代から現代にかけてのものです。特にロシアものが目立ちます。チャイコフスキー、スクリャービン、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ショスタコービッチ。チャイコフスキーを除くと、日本人にはとっつきにくい音楽で、聞くだけでなく演奏も日本的感性の延長に置いては弾ききれないやっかいものたちです。技術的に高度なテクニックが要求され、しかもロシア人たちのこってり量好みは、文学の世界だけでなくピアノ音楽でもおなじです。ロシアのピアノ音楽からはロシア人の重く篤い民族性がうかがえます。
ロシアのピアノ音楽は聞きにくいと長いこと遠ざかっていて聞くのを避けていたのですが、彼女が演奏しているため、それを通して聞く機会が与えられ、与えられただけでなくロシアのピアノ音楽が何を言いたいのかに少し近づけたのです。ロシアのピアノ音楽を楽しく聞く日が来るなんて想像していませんでしたから、嬉しいかぎです。

さてこのピアニストですが、冴え冴えとした技術だけでなくポエジーと呼んでいいものがあって、音楽が無味乾燥なものにならないのですから、しっかりとした音楽性を備え、それに支えられた超絶技巧のビアニストと言っていい超人です。伝統的な西洋の演奏スタイルの上に位置できないと評価している人がいますが(彼女の舞台衣装も物議を醸し出していますが)、それだからと言って劣っているわけではなく、東洋が生んだ新しいピアノ演奏スタイルだと見たら、しかも西洋の伝統が情緒的感性と呼んでいるものとはちょっと違った、東洋的・直感的感性からの贈り物と考えたら、彼女の演奏に対して音楽界は新しい位置付けが必要になって来るようです。

彼女一人の例から、西洋の伝統が東洋に移ったとは言い切れないですが、西洋の、ファウストのプロロークのヴァークナーの台詞が象徴的に言い表している「悩む文化」と、東洋の「直感的な迷いのない透明な文化」とが今活発に交錯している中で生まれた新時代のピアノの騎手と見ることもできると思います。

西洋と東洋の関わりの間に何か新しい衝動が動き始めているのかもしれません。
よく似たことは過去、いつの時代にも色々な状況で起こっていたことで、しかもそれを引張て行ったのはいつもとんでもない天才たちでした。
王羽佳、西洋読みすると、ユジャ・ワンさんがピアノを通して見せてくれたことは、この先多くの人によって受け継がれてゆく新しい波ような気がしてならないのです。
彼女の今後のご活躍をお祈りいたします。

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