Best playing of the lyra ライアーのベストな弾き方

2012年4月29日

If we were making a list of the things we really enjoy doing in the world, most of us would

put near the top the simple, everyday act of sitting down und chatting with our best friends

about things in general.Our minds are then comfortable and relaxed; our ideas flow without

great effort.

The best playing of the lyra is such piece of engrossing, glorified conversation.

This takes us into the confidence of the music on an informal, everyday plane.

 

人に聞かれて、一番したいことをあげてくださいと聞かれたら、きっと簡単なことというのが思いつくと思います。

気持ちが楽で、リラックスしている様なものです。一番親しい友達と一緒にいて話をすることでしょうか。

そういう中で話していると、話題は尽きることなく湧いてきます。

ライアーを弾くというのはそんな風に、静かに輝いているもののような気がします。

そしてそこで音楽も、特に肩を張らずに、日常的な憩いの中で安らぎの泉に変わるのです。

今と未来を結ぶ糸

2012年4月28日

今と未来とは糸で結ばれている様な気がしています。

私はその糸を見つけたいと願っています。

 

今と未来を結ぶこの糸は、今の中に閉じ込められていては見つからないでしょう。

現実という名のもとに今に振り回されていても駄目な様な気がします。

未来をぼんやり空想してもやはり見えてきません。

未来は既製品ではないですから買って来ることもできません。

未来は案外曖昧です。

ある様でないとも言えます。

それはきっと、未来というのは一人一人が作り出すもの、というところに本質があるからです。

 

未来を考える時に目標は大事ですが、目標に振り回されてしまってはもとの黙阿弥の様な気がします。

未来を作るのです。

未来を積極的に意図するのです。

作るという意識が大事です。

作るという不思議が「未来」という言葉の中には宿っています。

ものを作ったことのある人は、作るという作業がただがむしゃらに頑張っても駄目だと知っているはずです。

機械が作るのではないので、何時間でどのくらいできるという計算は成り立ちません。

ものを作るためには想像力が必要です。

想像力から生まれたビジョンを現実のものにするのです。

それをする力は意志の中に宿っています。

 

想像力は未来からやって来るという風に考えたらどうでしよう。

やって来ると言うと、棚からぼた餅の様に聞こえるかもしれませんが、実は直感的な積極的なものです

この想像力、今を抜け出すためにはとてもたのもしいものです。

想像力と創造力とは字づらは違いますが、実は同じ根っこを持った同種類のものなのです。

 

私は今を生きているだろうかという問いは、刻々と今を抜け出して新しい今を作っているだろうかだと思います。

今を抜け出すためには今が充実していることが条件です。

充実しているといえるためには充実させたいという積極的な働きかけが必要な気がします。

ないもの欲しがりは不満の塊ですからそことは区別しないといけません。

ないもの欲しがりは外に自分を満たしてくれるものを付けようとしています。

そうではなく、自分の中から、今をもっとよくしたいという願いを発するのです。

 

人生というのは一日一日の繰り返しではないと思います。

一日一日が成長している、そう考える時にしか人生に光が差し込んでこない様な気がするのです。

そして自分の中にこんこんと湧いてくる想像力の泉を見つけられたらしめたものです。

そうしたら人生という植物は成長を始めるでしよう。

それが未来につながる糸ではないでしょうか。

きっと、それは目には見えないものです。

 

人間がものを作ることを放棄した時、人間の手がものを作らないことを選んでしまった現代です。

もの作りをもう一度考え直してみたいものです。

もの作りの精神を。

私の音楽から あふるる涙

2012年4月27日

シューベルトの「あふれる涙」は冬の旅からで、氷ついた川に熱い涙が落ちる話しです。

冬の旅は孤独な歌です。

絶望感があり、失望感もありと救いようがない重さがあります。

マーラーに大きな影響を与えています。

さすらう若者の歌は、冬の旅と同じ失恋のモチーフを扱っています。

失恋の涙は、深く人生の奈落に落ちて行きます。

自分の存在感が消えて無くなってしまう程に重く苦しい体験です。

あきらめがつかない中でもう一度自分を肯定する力を見つけなければなりません。

たいていの人が人生の中で一番初めに体験する辛さでしょう。

失恋の後も生きなければならない。

そこで人生が終わってしまう人だっている暗い辛い体験ですが、光を見つけてほしいものです。

 

ライアーは外に解放で気に発光する光ではなく、内側からにじみ出て来るしっとりとした光です。

もしかすると、私がそういうものとしてライアーを感じているだけかもしれませんが・・。

今までのライアー体験が私の好みを作ったと言えます。

何度聞いても、明るいライアーの音は、聞いていて気持ちがいいのですが、そこまでです。

その先は何か違うことがライアーの中に起こらないと生まれないのです。

 

私が聞きたいのは、内面的な光です。

光を聞きたいのです。

光は聞こえるものです。

人の声にも光がいっぱい持っている人とそうでない人がいます。

いい声、光のある声はそれだけで人の心を和ませます。

同じように、いい音の、光のある音をライアーは心の糧になるものです。

 

この曲は、三連符で音が上がったり降りたりします。

なみだを溜めた時の人間の中にある動きです。

シューベルトはなんでもないところに工夫があります。

写実的かと思うとそんな表面的なところで音を処理しているのではありません。

リアルであり、しかも人間存在の深みを感じさせます。

とにかく本当に僅かな音しか使わないのですから、本質的に語るしかありません。

ライアーでこの曲を録音しながら、ライアーが言葉を喋れないのがとても残念でした。