2026年10月8日
知性のことは、一人独自の道を歩み始めたような危機感を持ってみることはあっても、倫理の姿を、モラルの力について語ることはあまりしないのはなぜでしょうか。
いまもし倫理、モラルは瀕死の状態だとしたら鬱手立てというものはあるのでしょうか。
ここでの大きな問題は、現代人が倫理、モラルに関心がないことではないかと勘繰っています。
そこに焦点が合わないということです。
もしかすると知性よりも倫理、モラルの方がしぶといところがあるのかもしれません。達磨さんのように、転びそうになっても元に戻れる様であれば、あまり心配しないでもいいのてでしょうが、倫理もモラルも繊細なものの様な気がしているので、壊れる前に手立てを考えないといけないような気がします。
日本には西洋で発達したような宗教を持つことはありませんでした。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は厳しく戒律を設け民衆はそれに従うことで、社会にモラルの感情が芽生えたのですが、日本に生まれ根付いた宗教は民衆にモラルを押し付けず、かつての日本で言われていた「お天道様」と言ってやんわりと民族の知恵を示していたのです。
「武士道」を書いた新渡戸稲造はアメリカやヨーロッパにいる時に日本を仕切っている宗教について聞かれたそうです。しかし本当に知りたかったのはモラルなのです。日本が非常に安定した秩序を持ち、人々が穏やかに生きていることは、日本を訪れたすべての宣教師が報告をしているため、日本人のモラル感についてはヨーロッパの人たちから評価されていただけではなく、奇跡的な現象として見られていたからです。宗教がなくてもモラルが存在できる理由が知りたがったのです。新渡戸稲造はそういう周囲の関心から「武士道が日本のバックボーンだ」とみなして、「武士道」という本を表しました。もともと彼はキリスト教徒でしたから、キリスト教社会といわゆる無宗教国家日本とを比較することができたため、キリスト教的世界観を下敷きにこの本ができたのです。
しかし日本人のモラル感情は武士道精神からの影響があるにしても、それ以前から、太古の昔から存在していたもの様です。よく言われる縄文13000年の歴史の中で争いがなかったということも、日本人のモラルへの意識の高さら説明できるのかもしれません。
もちろん人間の魂の中は混沌としているものですから、非情な日本人、残酷な日本人という姿もあるわけですが、宗教を盾に数千万人の命を葬ってきた歴史をも踏まえると、そう簡単に整理できるものではない様です。
しかし宗教の力でモラルが作られ、維持されてきたというのは、そう言える部分があるとしても、深い意味で直接の関係はないと考えます。しろ人間が今失ってしまった直感の中にモラルの潜在能力が含まれている様に感じるのです。知性によって人間は打算的になったということも言えるわけで、非打算的という直感からというのはさながら間違った考えてはない様な気がします。
2026年10月4日
普通音痴は歌を歌う時に上手く音が取れないことをいいます。音が取れないこと自体でもあり、その人を指しています。しかし実生活では音痴という言い方は随分幅を利かせていて、音楽に限らず、どんな分野でも、そのことを理解していない人のことは「何々音痴」となります。方向音痴と言えば道に迷いやすい人ということですし、味音痴といえば味のことがよくわかっていない人ですし、数学音痴というと計算ができなかったり、社会音痴と言えばしが生のない人のことという具合にです。このように音痴という言い方は幅広く使われています。色音痴とも言いますが、色盲や色弱のことではなく、色の組み合わせのセンスのない人のことを指して言います。ワイシャツとネクタイの組み合わせがおかしい時、女性だとブラウスとスカートの色がしっくりしていない時などに言います。音痴の痴は白痴のことですから、知能が足りないと言っているのです。音を理解する能力がないことが音痴なのです。
しかし歌が下手で、音程が外れていても聞き様によっては音痴どころかうまく聞こえることもあります。音程ばかり気にして歌ったり、正確な音でヴァイオリンやチェロを弾いたからと言ってそれが必ずしもいい音楽かというそんなことはないのです。そもそも歌というのは音程取りの遊びではなく、心を響かせるのが本領だからです。音程度りに四苦八苦している歌こそがほや等は歌音痴ということなのかもしれません。
昔、ソニー創業者の一人、井深大(いぶかまさる)が「ゼロ歳からでは遅すぎる」を書いてセンセーショナルを起こしました。その本を読んでいたときに、巻末にオマケのような一章があって、記憶が正しければ「思い出に残る歌声」というもので、著名人たちの思い出の歌声の回顧録の様なものが集められていました。その中の一人の方が「おばあちゃんの歌」ということで書いていらっしゃって、今でも幼かった時におばあちゃんの背中で聞いた歌が1番美しいと思っている」というのです。
おばあちゃんが歌う歌というのは、おばあちゃんの背中で聞いた経験のある方はすぐに思いつくのでしょうが、音程ははっきりしていないし、歌詞も曖昧でというもので、実際には何を歌っているのかが判別できないような歌です。大事なのはそこには上手下手というものは存在しておらず、歌のエッセンスが凝縮しているということです。先ほどの音痴という言い方をここに当てはめるわけにはいかないのです。歌の本質は音程取りではないからです。かえってその「背負われて聞いたおばあちゃんの歌」を理解していない人の方が、歌の良さがわからない歌音痴なのです。
2026年10月3日
空気を読む、というのは山本七郎さんが三十年以上も前に言い出したことで、日本人の持つ特性としてしばしば挙げられます。状況を読んでそれによって判断する能力を指しています。
日本語を外国語として学んでいる方がよく言われるのは、日本語は状況と深く結びついているので、状況を読まないと会話が理解できないということです。そういう話を聞くと「確かに」と一度は相槌を打つのですが、実は英語という言葉は違った意味で状況というのか文脈というのかを理解していないととんでもないことになる言葉だということも事実です。英会話だけの勉強だと英語は簡単だと思われがちですが、英語を少し勉強してみるととんでもない深みに迷い込んでしまいます。まさに空気を読まないと本意が理解できないという感じです。その点に関して言えばドイツ語などよりは日本語に似ているし、英語が西洋語の中で1番難しいと言われる所以です。
日本で生まれ五歳まで日本で育ち、十五歳以降はイギリス人として活躍されているノーベル賞作家のカズオ・イシグロさんの小説「日の名残り」は大きな館のご主人様とそこの執事の複雑なやりとりが至るところに登場します。丁寧語・尊敬語・謙譲的な言い回しで会話がなされるのです。それ以外にも英語独特の言い回しが随所に使われていて、イギリス人にも読むのが難しいと言われているほどのものです。知り合いのドイツ人で英語に卓越した方の協力を得て一緒にその本を読んでいる時、よく「ドイツ語では出てこない言い方ですね」と耳にしました。逆に日本語では日常茶飯事だったりしたするのにと首を傾げていたこともあります。
英語のtake、getという言葉は辞書で引くと訳がわからなくなるくらい、多岐に渡った意味が並べられています。一つ一つを詳しく読んでみると、みんな「そうだ、そうだ」と納得できるのですが、文脈がわからなくなった時辞書を引いて調べようとしても迷うばかりです。特に書き言葉を読んでいる時には、ある状況で使われているgetを理解するのに、場の雰囲気を持つ会話の時とは違って、活字だけなので状況というか文脈を正しく理解するのに時間がかかります。二、三十くらいの使い方の違いの中から、今読んでいる文脈にふさわしい意味を見つけなければならないとなると深い迷路を彷徨っているようなものです。
ドイツ語にも英語ほどではないですが多くの意味を持った言葉というのはあって、五十年ドイツで生活して観察して気づいたのは、彼らはその言葉の意味を私のように二十、三十と区分けして覚えているのではないということです。彼らにとっては多岐にわたる複雑な使い分けは、案外単純に一つにまとめられているのです。極論すると一つの意味でしかないのです。わたしたち外国人が辞書で区分けするような理解の仕方ではなく、イメージとして全体を把握しているということです。状況に相応しい意味をイメージとしてイメージのプールのようなところから取り出して理解しているのです。とても流動的な感じです。まさに日本人が空気を読んで状況を判断しているようなものです。
ところが空気を読むのが得意な日本人が英語やドイツ語のそうした多岐にわたる意味を状況でうまく判断できるのかというと、そうでもないのです。我ながら不思議に思っています。言葉を通して空気を読むというのは、状況という生活の場で空気を読むのとは違うのかもしれません。
想像するに日本人は状況の空気を読むときに右脳を使っているのではないかということです。それに対し、西洋の言葉の空気を読むのは左脳を使っているという気がします。日本語は右脳的な言葉です。ところが西洋の言葉は左脳的ということでもあるのかもしれません。その中でも英語という言葉は西洋語の中で。どちらかというと右脳がかったところがあるのかもしれないと睨んでいます。
空気を読むというのは、よく言えば語感を超えた六感的なところがあります。しかし根拠がないものです。普通は主観的になってそれぞれがバラバラな意味に理解するのでしょうが、日本的空気の読み方は特殊です。日本人同士の第六感は結びつきが深いようです。それが絵文字文化を花開かせた力なのかもしれないと思っています。今や絵文字は世界共通の言語?E m o j i なのです。日本人の絵文字読解力は、詳しい人の話では突出しているようなのです。