2025年5月25日
五月二十日に、鹿児島で三十年もの間お世話になった内田芳夫先生がお亡くなりになりました。心からご冥福をお祈りいたします。享年七十九歳でした。
どんぐり園として幼稚園を始めた三十年前から、今日のどんぐり自然学校に至るまでの間ずっと変わらず理事であられたことでお付き合いを持たせていただきました。どんぐり園は内田ご夫妻が鹿児島の吉野に建てられた家の一階を使わせていただくことで開園できたものでした。ご家族は二階にお住まいにならなられていました。その敷地の中に太い、樹齢を重ねたどんぐりの実の成る椎の木があったことが、「どんぐり」という名前の由来になっています。そこではヤギが飼われ、内田先生は出勤前に必ずヤギのごんちゃんに餌をやっていたので、それを見たどんぐり園の子どもたちは、内田先生はごんちゃんとお父さんとして親しまれていました。
今から二十年前にどんぐり園のために作った圓歌の詩の中ではヤギのことが歌われているのですが、歌を作っているときにはどんぐりの大木のイメージと、吉野から見える桜島の姿と同じくらいヤギの存在を意識していましたから、内田先生はその演歌の中核にいらっしゃったのでした。園歌は今でもさまざまな場面で、その後に付けられた振り付けを交えて歌われつつけています。これからも歌い続けられると思うので、内田先生はその歌が歌われるたびに、ヤギの姿と一緒に歌う子どもたち、先生たち、親御さんたちの心のなかに登場し続けることになるようです。
二十三日が告別式でした。日本時間で11時、ドイツの時間では朝の四時でしたから早起きをしました。その時間に合わせて、気持ちだけでも日本での告別式に参列したかったからです。三十分ほど黙祷してからライアーを弾きました。その時に窓の方を見ると、先ほどまで雲に覆われていた東の空はうっすらと雲がたなびいているだけで、夜明けが近いことを告げる赤みを帯びた色に変わっていて、そこにはなんと上弦の月と明けの明星と言われる金星がほぼ並んで地平線の上に輝いていたのでした。美しい朝の空の中で内田先生は昇天されたのだと感動していました。
内田先生とは一年に一度お目にかかるという間柄でしたが、三十年の間毎年お目にかかって、心を通わせていると、親しい間柄に変わってしまうものです。お目にかかっても長くお話をすることはなく、短い言葉でお互いに再会を喜びを交わすほどなのですが、その短いやり取りの中に幾重にも重なった思いが感じとられるのでした。私の講演の後には必ずお声をかけてくださって、これまた短い感想を述べられるのですが、この短さがたまらなく味わい深く、毎回励まされたものでした。
鹿児島大学で難聴の問題を扱われていた先生でしたので、その関連でも大きな力を発揮され活動されていたため、お別れには沢山の弔問の方がいらっしゃっていたと自然学校の先生から報告をいただきました。
三十年を振り返ると、この間いつも先生の大きな愛によって、どんぐり園も、どんぐり自然学校も包まれ、支えられていたことがくっきりと見えてきます。内田先生の決して表に出てこない謙虚なお力添えは、これからもどんぐりに関わる人々の心の中で静かに、力強く生き続けどんぐり発展を支えてくれることと信じております。
内田芳夫先生のご冥福を心からお祈りいたします
合掌
2025年5月25日
日常は普通すぎるので、非日常的なものへ憧れるものです。
日常は普通すぎるのではなく、人々は日常から逃避し、日常を軽視しがちなのです。
日常が不安定になっているのが現代かもしれません。
日常がなくなると非日常はどうなるのでしょうか。
教育が目的を持ったものにならないとだめだ、と考えると、
学校より予備校が充実してきそうで、しまいには全部予備校になってしまい、
そうすると学校がいらなくなってしまうのですが、
そうなると予備校もいらなくなってしまいます。。
人生には目標や目的が大事だと考える人たちがいます。
目的に振り回されていると充実感があるからではないのでしょうか。
目標も目的もなく海の水のように大海原を生きてはいけないのでしょうか。
海が目標に向かっている時津波となって荒れ狂います。
音楽に癒されるとはよく聞くことです。
実はみんな癒されたいので、音楽に限ったことではないのです。
現代は病んでいるから癒されたいので、
みんな健康なら癒しも無くなってしまいます。
いつまで経っても戦争はなくなりません。
みんな戦争より平和が好きなのにです。
でも戦争があるので平和に憧れ、平和を求めるのです。
戦争がなくなれば平和も消えてなくなってしまいます。
地球は太陽が一つしかないので昼と夜とが生まれます。
地球の上では
光の当たるところがあるとそこには影が生まれます。
地上ではものがあるので光と影が対となっています。
心が暗いという時は
ものにこだわっているからです。物へのこだわりと物欲です。
折角の心の中の光が、
ものに遮られて影を落としているのです。
光に満ちた天国とはどんなところなのでしょうか。
光があるのに影がないというのは
ものがないということです。
存在しているのにもの拘らずに存在しているということなのです。
2025年5月13日
人間はいろいろなリズムを刻みながら生きている存在なのです。
リズムというと早計に音楽のことかと思いきや、実は一週間というリズムや一年を四つに分けて四季というリズム、一日も昼と夜というリズムというふうに生活の至る所にリズムがあるので、私たちはリズミカルに生きている存在だったのです。と言うことは、生活とはそれ自身がもうすでに音楽的と言ってもいいくらいのものなのです。
色の世界には何千、何万と無数の色が存在しています。人間はそれらの間のニュアンスを相当厳密に識別できるのだそうです。それなのに虹には七色しかないというのはいとも不思議です。七が色の持つリズムなのでしょうか。
このように周囲にいろいろなリズムを感じられたら、人生が変わるかもしれません。
リズムというのはそれだけでなく、生活に流れを作っているものなので、生活を楽にしてくれているものでもあるのです。昔は男たちが力仕事をする時には掛け声を合わせ、リズムを整えとやったものでした。さらにこのリズム、実は私たちの生きる力を支えてくれているのだと言うことを最近ではすっかり忘れてしまったのです。
このような考え方がある一方で、先日とても心に残る言葉を耳にしました。「毎日がお正月」という、何とも嬉しくなるような捉え方でした。毎日がお正月だったら一年のリズは台無しになってしまうと言う人もいるかもしれませんが、観点が違うので矛盾しているようで、矛盾していないのだと思います。
最近お粥が食べたくなることがあり、お粥の作り方をYouTubeで探していたら、ジュディオングという懐かしい名前に遭遇して、それをみていました。中華風ではなく台湾風のお粥の作り方で、しかもジュディオング家に伝わるおばあちゃんのお粥でした。出来上がって盛り付けをするときに彼女が「毎日がお正月」と言いながら、お母さんがいただいたという一番好きな器にできたお粥を注いだのです。何気ない言葉でしたが私には意外とインパクトがあって、「そうか、そういう風に考えたら人生また一つ楽しくなるなぁー」と感心したのです。
そうしたら誕生日の日に久しぶりの友人から電話があって、電話口でしばらく話をしていたら、突然「毎日が誕生日」と考えてもいいんだよなぁーと、いうのです。どこかで聞いた話だと心でニヤリとしていたら、彼のお母さんはもっとすごくて「毎日が日曜日」と言っていたというのです。そのお母さんは敬虔なカソリック教徒でした。カソリックというのはプロテスタントとは違い、キリストが復活した日曜日が元旦を意味する日に当たります。ですからイエス誕生のクリスマス同様、復活祭は大事な祝日なのです。もしかすると復活した日曜日の方が大事だと思っている人の方が多いかもしれません。カソリック教徒だった彼のお母さんはそんなつもりで毎日を祝福していたのでしょう。
日本語では今日と書いて「きょう」と読ませます。実は逆で万葉の昔から「きょう、けふ」という言葉があったので、今日という漢字は当て字だと思います。英語で今日というのはTodayです。みんな知っている単語ですが、これは二つの言葉からなっていて、toとdayが組み合わさったものなのです。前置詞のtoは意外と複雑な意味を持っているのです。どどこへ、というふうに方向を示すことが多いですが、複雑な使い方で外国人を悩ませる前置詞です。ドイツ語でも今日というheuteは二つの言葉が合わさっていて、heuとteからなっています。teは英語のdayです。
どちらの言葉も、この日のためにとか、この日にとってとか、この日を通してといった意味を持っていた言葉だったのです。今日では記号のようにtoday、heuteと使っているのですが、実はtoday、heuteには重い意味が備わっていたのです。ですから当然考えを変えてみると、今日は特別な日なのです。ということは毎日が日曜日と考えるの当然なのです。。
毎日がお正月、毎日が日曜日。何だか体が芯から暖まるような考え方です。そんなふうに生きてみたいものです。