神は全能
神さまが全能と聞くと、「これは大変だ」と思うのです。
神様を能力で測るなんてできるのかって思うからです。できるとすれば人間の傲慢でしかないと思うのです。
私のイメージの中の神様は全能どころかむしろ無力な存在です。
何かができるとかできないとかいう考え方そのものがそもそも神離れしていると見ていいものです。
もし「俺はなんでもできる」なんて豪語する人が目の前に現れたら、私は呆れてものも言えなく呆然としているはずです。どこからそんなことを思いつくのかがわからないからです。権力欲の様なものも感じてしまいます。呆然とした後きっとがっかりがやって来ると思います。能力や権力を誇示するなんて私にはどう見ても悪魔的だからです。そんなものを誇示するのは悪魔の所業の一つに過ぎないと思っているからです。
私が「本当に神様は全能なのですか」と聞くと大抵の人は答えに困っています。キリスト教の社会では子供の頃からむそのように教えられている一方で、成人した人なら全能という言葉の持つ意味をあらためて考え直してしまうからです。
宗教は教祖がいて教義があって救いがないと成立しないと言われています。仮にある宗教が「うちの教祖様は無力です」と言ったら信者が集まらないでしょう。やはり宗教という立場からすると、特に現生利益を売りにする宗教でであれば全能というのは最大のキャッチフレーズなのかもしれません。
どの様な理由で私が神様が無力な存在に見えるのかというと、能力主義とか権力主義とか驕りや傲慢といったものを全て手放している存在に見えるからです。神様という存在はそういうものからは測ることができない存在だと思っているからです。神様ってなんの役にも立たない存在なのかもしれません。私にとってはそれでいいのです。それが一番神様らしいというのか、神の証の様に感じています。
「困った時の神頼み」のようなことは私もやっています。その困った気持ちをどこかに向けないと治らないからで、その時には気持ちを神様に向けて心を落ち着かせます。でも見返りは何も期待していないのです。神様がそのために何かをしてくれるとは思っていないと思います。
少し解釈を変えて、全能を「全ての能力超えた存在」とするのなら、「そうです、神は全能です」と言えます。不思議とそれは私が無力と感じているものに限りなく近いからです。神様というのは能力や権力で勝負してはこないのです。無力な神様は私たちにも無力になりなさいと言っているのかもしれません。そうしたら私たちも全能になれるのかもしれません。






