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2026年4月20日

好き嫌いは人間の性(さが)。心の生活を営む上で避けて通ることができないものです。癖よりも深いところに存在しているフィルターで生来のものの様です。好き嫌いで物事を判断してはいけないと躾けられるのは、心が進化してゆくとその好き嫌いを通り越した先があることを先人たちは知っていたからです。
しかし性(さが)なので、それこそ好むと好まざるに関わらず付いて回るわけです。だからと言って忌み嫌う必要はないのです。「好きこそものの上手なれ」とか「下手の横付き」というように好き嫌いというのは手強いもので、それに振り回されているわけですが、私たちの人生に幅を持たせてくれるものでもあるのです。何気ないところに巣食っていることに気付かされると、思わず苦笑してしまったりします。
驚くべきはとても高尚なレベルにまでこの性は巣食っているということです。音楽の好み、文学の好み、絵画の好み、果ては哲学的、思想的なところにも、さらには宗教の世界にまで触手を伸ばしていますから、ここを超えることが悟りを開くということに通じているのかもしれないと思ってしまうほどです。この性から解放されたらさぞ楽に生きられるのだうと思う反面、そこは無色透明で迷いのない世界で、俗世界のようなものが無くなってしまうのなら、業深い私などは、それは嫌だと思ってしまうのです。

さて開き直って、音楽の好き嫌いを見てみようと思います。音楽の好みは頑固なところがあって簡単に譲れない様です。今私が思い浮かべているのは音楽のジャンルのことです。現代は細かく、しかも厳密に分類されているので下手なことを言おうものなら御意見番から文句が来そうですが、話を進めるためには専門的な分類にこだわっていられないので素人の分際をいいことに大雑把に区分けしてみると、クラシック、ジャズ、カントリージャズ、民族調音楽、ロック、ポップ、歌謡曲、演歌、民謡等々が簡単に思い付きます。もちろんなんでも好きで聴いていますという人もいることはいるのでしようが、大抵は好きなジャンル、好きではないジャンルというのがある様なのです。

音楽は心の中で深くで錨をおろしています。それがそれぞれの人の心を支えていると言ってもいいようで、魂のパスポートなのかもしれません。そのパスポートの発行者は国ではなく、自分自身、つまり本人だというところが普通のパスポートとは違います。誰かに見せなければならないものでもないし、見せて得するものでもないしという、自分にしか意味を持たないパスポートです。
なぜ好きな音楽があるのかってその昔疑問に思ったことがありました。そのころは行ってみたい国というのにも興味があったのでよく知り合いになった人に「好きな音楽は」「行きたい国は」と尋ねたものです。答えはさまざまでした。成る程、と納得することもあれば、そうなんだ、と意外な答えに驚くこともありました。ただ、行ってみたい国というのは好きな音楽ほどはっきりはしていませんでした。
好きな音楽は大抵の人が答えてくれました。そしてその答えは私が感じていた性格や人柄といったものと一致することが多かったのです。さもありなん、ということが多かったのです。この符合は不思議でした。例えは占いの人がある人の名前を聞いたり、誕生日を聞いたりしてそのことのことを言い当てるように、好きな音楽からその人の何がしかがわかる様な気がしていました。
今日の社会状況からすると、さまざまな音楽に接する機会は、SNSなどによって昔に比べるとずっと多くなっていますから、いろいろなジャンルの音楽を体験する機会はほとんどの人が持っています。音楽ジャンルは人を選ぶことなく同等に開かれているのに、好きになる音楽というのを一人ひとりが持っているのです。そしてそれがその人の人となりと重なるので、だから好き嫌いは結構頑固なものと言いたくなるのです。

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