空中分解する自分

2023年11月17日

そもそも人間は自分というものとどのように付き合っているのでしよう。時々ですが、全く自分と付き合っていない人を見かけます。普通は無私といっていますが、ここでは無自分の状態にいる人といいます。もう自分に構わなくてもよくなってしまった人です。ここでいう自分はつまるところエゴ、欲望の塊です。何年もかけてその塊を溶かしてしまったのでしょう。羨ましい限りです。

ところがもう一つ、間反対の無自分があります。自分と付き合得ていないと思われるタイプがあります。その人たちは他人ばかり気にしていますから自分自身で自分に辿り着かない人です。他人から影響を受けるといえば聞こえはいいですが、基本は他人の悪口ばかりです。他人とぶつかることで自分がいることに気づく人です。道を歩きながら電信柱にぶつかってハッとするようなもので、ぶつかるものがなければ一生自分に気づかずにいることでしよう。ただ周囲には自分の中で渦巻いている毒々しいものを振り撒いていますから、他人迷惑な人です。

初めの無自分は周囲から見ると謙虚が特徴ですが、後の方の自分に気づかずにいる方は、周囲からは、その人が世界の中心であるかのような振る舞いに辟易しています。

私と自分は違うものです。自分に留まっている限り世界の中心は自分なので自分以外は自分のための道具に過ぎないのです。ところが、私というレベルは異次元のもので、自分と他人の間に位置しています。

世界の中心であると思い込んでいた自分を飛び出さないと他人と接することはできません。勇気を持って自分を飛び出して出逢えた他人は懐かしい存在です。まるでもう一つの自分のような他人です。

他人とぶつかって自分を主張し怒鳴り散らしいてるのとは違い、自分の力で自分の枠から、つまり自分の欲望から一歩出てゆくことで他人という自分との接点が探せるのです。

自分探しといって、自分のことを一生懸命探すことが一時流行っていましたが、大きな目で見ると、合理化され正当化されたエゴイズムです。自分なんて玉ねぎの皮を剥くように、剥いても剥いても空いだけなのです。

自分から出るとは勇気を出せばいいのです。要るのはただ勇気のみです。自分で自分を解き放つ時、それは宇宙に飛び出して今まで自分を保護してくれていたものがなくなって、空中分解します。

そうでもしないと見えてこないのが他人です。

 

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