徳について

2013年6月16日

徳のある動物とはいいませんから動物に徳を認めていないのでしょう。人間と一緒に生活している動物にもです。徳のある犬、徳のある猫、徳のある馬というのは冗談を言っている時に出て来るだけですから、人間と生活しても徳が備わることはないようです。

徳というのは人間特有のものです。

ところが、いい方ですね、立派な方ですね、優秀な方ですねとは良く言いますが、徳のある方ですねとは簡単に言えないものです、言う時は尋常でないものを感じます。

面白い方ですね、人望のある方ですね、他の言い方である人のことを言ったとしても、にこれらは徳のある方ですねに直接つながらないのです。徳という言葉は使える範囲がとても狭い言葉です。

私は絵が得意です、歌が好きです、あみもの・刺繍が趣味です、庭が趣味です、料理が得意です、習字を教えています。こう言ったことは良く耳にするものです。

ところが、私は徳が好きです、私は徳が得意です、私は徳を教えています、とは言いません。言ってはいけないと誰かが決めたわけではないのですが、徳という言葉はそういうものでないことは常識として知っています。

徳は生活の臭いがしないところもありますが、日常生活から遊離してしまって、徳のある人が仙人の様に雲を食べ生きているのかと言うと違いますし、孤高の人の様にかけ離れた存在かというとそれも違うしで、つかみどころがないものです。

生活の臭いはしないし、日常生活と全く関係が無い様に見えて、案外生活の中に浸透しているところもあります。それどころか生活を離れて人徳者は人徳者ではないのです。

徳は決して気難しい言葉ではなく、日常生活に直接結びついてはいないのに、日常生活を満たしているものです。雲の上のものではなく、すぐ側にあるとても近いものなのかもしれません。キツネにつままれたというのはこんなことを言うのでしょう。

 

徳は世の中からもらう評価ではないことも徳の特徴です。徳があってもノーベル賞はもらえないし、ノーベル賞をもらう人が徳のある人とかと言うと、そういうこともあるのでしょうが、徳が直接評価の対象になったのではないことだけは確かです。

徳は心で繋がっている人の間でしか浮かびあがってこないのです。親しくしている人、尊敬している人という人関係です。知っている人というのは、ただ情報的に把握しているだけの人ですから、心で繋がっているわけではないので、知っているだけの人に徳を感じることはありません。

 

英語にvirtueという言葉あり、それが普通は徳の訳語になったりしますが、viertueが特にすっぽり当てはまるかと言うとそうではなく、この言葉には他に、美点、長所、貞節などの意味があります。英語にはすっぽり当てはまる言葉は無いですが、私は個人的にselfless, unselfishが近い言葉ではないかと思っています。ドイツ語だとSelbstlosigkeit, 副詞ではedelmütigという言葉が、私たちが徳と言っているものに近いようです。いずれも無私、無欲と言うことを意味しています。

自分が存在していることを否定する言葉ではなく、それでは無私ではなく自殺です、自分はしっかり存在しているのに、自分はただ他の人が変わるきっかけになっていると言うだけの存在ということです。存在していることがすでに行為にまでなっている様な存在です。

徳のある人はその人がいることで周囲が変わる、そんな人のことです。その人がでしゃばって人を動かしてし周囲を変えるのではなく、その人が存在していることで、周りの人たちの行動に変化が生まれ、それによって周囲が変わると言うことです。

 

 

 

 

 

 

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