感覚を磨く

2013年6月17日

毎日の積み重ねが大きな結果を生みますので、何事も毎日することが大事です。

教育的によく言われることですからたいていの人は子どものときに聞かされて耳にたこができているかもしれません。

たこができても事実ですからここでも、教育とは距離を取りながら取り上げます。

 

中年になって体重が気になりだし、ついにはズボンが入らなくなったのを機会に毎日会社まで歩いて通うことに決めた友人がいます。通勤時間は、歩く時間のことです、一時間程でしたが、途中に結構風光明媚?なところがあって、天気のいい日にはそこに立ち止まって景色を眺めては会社に通ったそうです。

景色とはいっても町を高台から眺めるだけのことですから、毎日とは言ってもほとんど変化はありません。彼にも意外だったのは、毎日見ているうちに同じ景色が同じものではなくなってきたことでした。それは本人も無意識のうちにだんだんと蓄積されていた様で、殺風景な景色がただの殺風景とは感じなくなりその景色を毎朝見るのが楽しみになったそうです。絵心でもあれば絵を書きはじめていたかもしれないとも言っていました。

以前にも散歩のときに立ち寄ったことがあり、その時は「今日もこの景色を見た」とぼんやりとした気持ちで見ては、納得してまた散歩を続けたそうです。たまに見る景色はいつもと同じという領域を超えることはなかったのに、毎日見ていると、些細な発見が楽しみになって、同じ景色なのに違いが浮き上がってくるようだったと言うのです。

この些細なと言うところはなかなか言葉にならないところだそうです。

歩いて通勤すると決めたものの、始める前にはためらいがあって、毎日同じ道を歩いてゆくのもマンネリになるからと地図でいろいろな行き方を調べていたのに、実際に始めてみるとそんな心配はどこ吹く風で、マンネリどころか、いろいろな発見があって他の道を歩こうなんてことはさらさら思うことはなく、毎日ひたすら同じ道を、雨のもの風の日もギラギラ太陽が照りつける日も歩いて会社に通ったそうです。

 

そこで毎日すると言うことを発見した彼は、最近その勢いで大の苦手だった外国語を学び始めました。どう勉強したらいいのかが解らないまま、初めは子どもの本と、簡単な参考書を毎日ことから読み始めたそうです。

歩いて毎日通うことを決め、歩き始めたものの、やはりいろいろな心配事が頭をよぎった当時の時のことを思いだしては、とにかく続けることと自分に言い聞かせて続けたそうです。

歩いて会社に通うのは、会社という目的地があり、会社に行かなければ生活ができないと言う切羽詰まったものがあったので歩いて通うことは続けられたのですが、外国語を勉強し始めたものの、これが何時役に立つかは解らないので何度も止めようと思ったそうです。が、毎日歩いてだんだんといろいろな発見があったことが大きな支えになって、そんな危機が何度かあったのに、なんとか乗り越えて三年頑張って、そしてとうとう新聞が読めるようになり、今まで手にすることのなかった洋書でしたが、書店の洋書コーナーに行って本を買うまでになっています。

続けると発見がある、それが彼のモットーです。理屈ではなく、感覚的に解る様になるとも言います。あれほど苦手だった外国語が近いものになって、親しいものになったところからそれまで謎でしかなかった外国語が解る様になったそうです。親しみが増すと好きになり、好きになると今度は辞書を引くことが苦でなくなり、しばらくすると解る範囲が広がって行ったそうです。

発見しようとこちらで構えても、発見はできるものではない、発見は向こうからやってくるとも言います。

「ワカルと言うのは発見と同じもの」、自信ありげに言っていました。

 

職人さんの世界はまさにこの毎日続けることの実践の場です。

漆職人さんが漆を刷毛でぬると言うのは、素人の私には想像を絶する世界です。今は吹き付けで表面がコーティングされるので、家具、自動車、普通のぬりものなどは綺麗に仕上がるのが普通ですが、刷毛でぬってあれだけのあの美しい表面を作る漆塗りは、職人技とはいうものの、恐るべきことの様な気がします。

刷毛の運び、刷毛に含む漆の量、塗るものにのせる漆の量などは口で説明できるものではない微妙な世界です。

理屈ではなく感覚が磨くもの、感覚だけが磨いてくれるものです。

職人さんの仕事を分析して、それについて博士論文を書くこともできます。きっとその論文は知的関心・好奇心を満たしてくれるものとしては価値のあるものになると思います。それを読んで漆職人になりたいと思う人がいるかもしれませんし、ある日漆職人さんが世の中から居なくなって、漆が絶えてしまったとして、その論文を手掛かりにもう一度復興することもあるわけです。しかし博士論文はそこまでです。その先の実際の工程は、毎日繰り返しながら身につけて行くしかないものです。

 

感覚というのは身について始めて感覚と言えるのです。

感覚を磨くと言うのは、理屈ではなく、毎日の繰り返しという妙薬によって体になじんで行くことなのです。

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