私の音楽から フランスという精神土壌

2012年4月9日

スイスで勉強している時に、フランスの人とよく接しました。

ドイツで五年生活した後でしたから、フランスの人から受ける印象はドイツの人からのものとは全く違う世界でした。

ドイツを尊敬している部分もあるのでしょうが、軽蔑に近いと感じるものも随分ありました。

その人はドイツ語で勉強することを決めた人たちですから、すこしはドイツ贔屓があるとは思うのですが・・

しかも精神科学、霊学をです。

それなのに、いろいろな局面で仲の悪いところがあから様でした。

 

その時ドイツの音楽とフランスの音楽をいろいろと 聞き比べてみました。

そこに何かヒントがあるかもしれないと思ったからです。

文学の世界は、どうしても言葉ができないと真に迫った所は解りません。

ドイツ語であたふたしている時でしたから、フランス語に手をだなんて夢のまた夢でした。

翻訳で読んでいる時にはやはりどうしてもかゆいところに手が届かないのです。

それで音楽に集中しました。

 

フランス音楽は高揚なことを言わないと思いました。

それは精神的に深いとか浅いとか言うのとは違う話しです。

肩に力を入れないからといっていい加減だということないですから・・。

精神の置き場所がドイツとフランとでは違うということです。

フランスは外の明るい光の中に精神をみていると思いました。

印象派という絵の流れはフランスでしか育たなかったものなのだとその時以来信じています。

ドイツに印象派は生まれる余地がないです。

ドイツは内面化する光の下で考えようとしています。

そしてそれが真実に近づく道だと信じています。

フランスはもっと日常的なものが優位にあります。

精神という曖昧な物の中に逃げてはいけないとフランスの人から何度も聞きました。

フランスの音楽は深刻に聞いてはいけないのだとその時初めて知らされました。

 

そのフランスは日本的感性ととても近いものを持っています。

特に絵画の世界でのお互いの影響の仕合いは特筆できます。

浮世絵とゴッホの繋がり、影響はその中でも特に有名な話しです。

フランスの人は日本の伝統芸がとても好きです。

歌舞伎、お能、文楽は随分の回数がフランスで上演され、とても高い評価を得ています。

お互いに何かが通じるのです。

なんでしょう。

 

ライアーでフランスのクープランのものを弾いていた時のことです。

すこしおっちょこちょいで、冗談が好きなところを見つけました。

これはドイツの音楽にはほとんど見られながったもので、とても楽しくその世界と向きあいました。

深刻でないというのは、私の性格にとってとても居心地がよく、ライアーで弾いている時には開放感がありました。

その開放感は外に向かう開放感だと思います。

ドイツ人が哲学で内面に向かいながら語るものをフランス人は諧謔で吹っ飛ばすようなところがあります。

特に音楽はその傾向が強いようです。

決してふまじめではなく、大真面目なのですが、諧謔としか言えないフランス独特のものです。

優しさもあるのですが、それはちょっと冷たい理性的な感触がある様な気がします。

ちょっとはすに構えているところもあるかもしれません。

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