なんの役に立つのか、と聞かれました。

2021年3月4日

以前仙台から少し山形に寄った愛子(あやし)にある女性修道院をお借りして、金曜日の夜から、土曜日一日と、日曜日のお昼までという、週末合宿をしました。宮城県からはもちろん山形県、岩手県からも参加者があって、まずは金曜日の夜を全員でワイワイと夕食を作りながら、たっぷり仲節のオンパレードをやりました。

そこに日曜日だけ一日参加で加わった年配の方が、午前の私の話の後の休憩時間に「この会は何を作ろうとしているのですか」と尋ねてきました。私と、主催者の何人かと顔を見合わせながら「別に何をという具体的なものは考えていません」と答えると、キョトンという顔をされ、「ではなぜこんなにたくさんの人が集まるのでしょう。かわかりません」と怪訝な顔でお帰りになりました。その時は二十人ぐらいの参加者がいたと思います。

私にはドイツで、何かを作るために人集めをするのに飽きていましたから、日本ではそんなことでなく人が集まれることを高く評価していたのですが、その女性の言葉を聞いて、日本もやはりそうなのかと、がっかりしたことがあります。

 

何も作るなんて考えていないのに人が集まる、すごいことだと思いませんか。

 

私の話は、なんの役にも立たないという特徴があります。特徴と言っていいのかわかりませんが、そういうことです。だから毎年聞きに来ると言ってくれる人もいます。

役に立つ話はそこらじゅうで聞けます。それが本当に役立つかどうかはわかりませんが、役に立つと銘打って講演会をすると必ず人があるまりますから、主催者はこの手を使います。医療関係、心理関係、スピリチャルな会、経営の秘訣などというのは人でごった返しますが、私のような「なんの役にも立たない、ただの話」は今の社会に存在価値があるのかどうか疑われてしまうものですから人など集まらないだろうと思いきや、なんとか人が集まるのですから、私自身正直驚いています。なんの役にも立たない、何かを作るために集まるのではないかいに人が集まる、やはり日本の力だと感心しています。これは美意識に通ずる高次の意識からのものです。

私の個人的な経験で言うと、「何かの役に立つ話が聞けるかもしれない」と期待して出かけた講演会ほど、空振りします。

もちろんすぐに役に立つ話と、仲正雄という私とは反りが合わないのはわかりきっていますから、そんなところに私がいっても空振りするのはわかりきっているのですが、人に誘われたり、ギリで出かけなければならなかったりと顔出ししなければならないこともあるのです。

 

何故「役に立つ」がこんなに人気があるのかと言うと、やはり物質主義的利己主義のなせる仕業だと思います。流行というのは大抵ここから生まれます。今日のスピリチュアル流行りはやはりここに端を発していますから、基本は物質主義的なベースの上に乗っているスピリチュアルなのです。

「役に立つ」はこの話を聞けば儲かったと言う気分になるから聞きにゆくのです。「役に立つ=儲かる」と言うことのようです。やっばりそこに行き着くのかとがっかりします。

 

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