音楽のこと

2021年3月4日

音楽と時の権力者とについて書いてみます。

音楽は精神的にはとても高貴なものとして扱われます。哲学者ヘーゲルは「全ての芸術は音楽に憧れる」と言い、ある建築物の美しさを「凍れる音楽」と表現した人は、ゲーテ、タウトの他に何人もいます。

しかし政治的に音楽を利用するのは難しいようです。政治思想を音楽で表現するのは無理です。音楽は抽象的なもので、具体時なことを表現できないからです。「私はあなたを愛しています」と音楽では作れません。歌としてテキストがあってそれで内容がわかるので、音だけでは表現し気ないのです。ところが絵画、彫刻、建築などは政治思想を巧みに表現でき、時の権力者たちはその力を大いに活用しました。

「ナポレオンの戴冠式」と出された絵があります。ルーヴル美術館で一番大きい絵です。詳しく述べると長くなるので端折りますが、描かれているのはナポレオンが冠を受ける様子ではなく、冠を授かるのは妻のジョセフィーヌです。ナポレオンに冠を授けられるのは、ナポレオンによればナポレオンだけで、実際にはそりシーンを描いたものがあったと言うことですが、それは描き改められたそうです。偉い人の肖像画は数に遑がありません。独裁主義、共産主義には膨大な思想を絵にしたものが描かれています。どれも今見るとグロテスクで気持ちの悪いものばかりです。彫刻も同じように権力者たちを作りました。建築だって権力者の力の象徴なのです。

と言う具合に芸術と呼ばれているものが、時には権力を表現するために使われるのですが、音楽だけは例外です。

ベートーヴェンの交響曲3番は普通、エロイカとか英雄と呼ばれていますが、この英雄は他ならぬベートーヴェンが共感したナポレオンです。ただその後皇帝になったナポレオンのことを俗物呼ばわりしたと言われています。

私はヴァーグナーもニーベルンゲンの指輪で音楽を権力の象徴として使っているのではないかと思うことがあります。ヒットラーはニーベルンゲン指輪の総譜が寄贈された時大喜びをしたと言われています。

それらはごくごく特殊な例外で、権力と音楽は結びつきが薄いもので、せいぜい鼓笛隊が中世の戦争の時に軍隊を元気付けるために行進をしたのを思い出す程度です。

 

先日のブログ、ヒラリー・ハーンのところで書きましたが、音楽に自己主張が入り込むと、本来は高貴なものとしてある音楽が聴くに堪えない下品なものに変わります。音楽のこの繊細さは何に由来するのでしょうか。何故権力、利己主義、自己主張といったものの表現には適さないのでしょう。

この音楽の特性で思い出すのは「愛」と言う言葉です。愛はいろいろなところで使われすぎています。悪用されていることもあります。手垢で汚れているところもあります。しかし愛にはそれを超えた素晴らしさが宿っています。愛の中を貫く力と音楽はとても近いものを感じます。同じところから生まれているのかもしれません。

愛も無力です。音楽も無力です。世界を歴史を貫く力は、「権力」ではなく「無力」でしかないのです。

 

コメントをどうぞ