誕生日を祝う習慣
昨日また一つ年をとりました。昭和二十四年に、満年齢で年を数えることが始まったそうです。それまでは数え年でしたから、みんな一斉に一月一日の元旦に年を重ねたものでした。
誕生日を祝うということにドイツで初めて出会った気がします。我が家では誕生日を祝う習慣がなかったので、ドイツで盛大に誕生日を祝っているのを目にして始めは少々違和感があったものです。
誕生日を祝うということは無かったにもかかわらず、不思議と誕生日にプレゼントをもらったことは覚えています。何だったのかは忘れましたが、まだ日本が高度成長に入る前でしたから、貧しい時代で、大したものでは無かったはずです。
いまドイツで友人たちの誕生日に呼ばれると一番悩むのがプレゼントに何を持ってゆくかです。ものの溢れた時代ですからみんな大抵の物は持っているので、何か変わったものをと考えてもなかなか見つかりません。私だけでなく多くの人の悩みのようで、最近はプレゼントに選んだらいいものを商品にするお店が登場して、なかなか繁盛しているようなのです。そこで買って「はいプレゼントです」と持っていっても心がこもっていないようで、納得できずにいるのでお店の力を借りずに何かを探そうと努力していますが、案外難しいものです。
プレゼントというのはプレゼンテーションのようなもので、自分を表すことですから、プレゼントをあげて喜んでもらおうとしているのだと思います。これが政治的なものとして利用されると賄賂のようなものにつながるのでしょう。
昔のドイツではプレゼントには自分で作ったものを贈っていたものだと聞いたことがあります。ドイツはそもそももの作りのお国柄ですから、手仕事で作ったものを贈るのが一番心のこもったものと認識されていたのでしょう。それが今の消費文化のなかで買ったものをプレゼントするというのが定着してしまったようです。むしろそっちの方が商品価値が読めて好まれているようです。ちょっと有名なワインでも贈っておけば用が足りてしまうということのようです。
ものを作ることから離れると文化はますます個人という基本が失われ、一般化してゆき薄っぺらなものになってしまうような気がします。手間暇かける時間などないというのが現実なのでしょう。