死後に初めて自分が見える

2025年8月11日

死んだ後自分と他人は逆転する、つまり「死後、自分と自分以外とはまるっきり逆転する」という言葉を読んだ時、死後の世界というものを初めて垣間見たような気がしました。

誰一人として嘘をつかないで人生を終える人などはいません。その嘘というのは、生前は自分から他人に対してつくものです。これが死後どうなるのかということだったのですが、そこで読んだことによると、自分がついた嘘が自分に向かって帰ってくるのだというのです。誰かが自分に向かって、自分がついたと同じ嘘をつくのだというのです。まるで手袋や靴下をひっくり返したようなもので、表だったサイドが裏側になり、裏だったサイドが表になるということです。

昨今は死後や前世というものが色々と言われていますが、私には何だか信じ難いものばかりで、そのまま鵜呑みに出るようなものではなかったのですが、この「自分と周囲が逆転する」という記述を読んでからは、今生ていることと死んだ後はどうなるのかを思考の対象にできるようになったのです。それまでは死後も生前のままの意識で生きてゆくように言われていたので、それでは死の意味がよくわからないと感じていたのですが、「自分と外が逆転する」という考え方に触れて初めて死の意味がわかったような気がしたのです。同時に今生きていることの意味が見えてきたのです。

このことを語る人が少ないのは何故なのでしょう。宗教家やスピリチュアル系の人たちは死後も同じ意識がそのまま続くようなお話しをなさるのがほとんとです。臨死体験も生前の意識がそのまま死後の状態を生き続け、そこで見たものを携えてもう一度体に戻ってきたときに報告しています。また前世の記憶のようなものがあると言われるときにも、生前と今生きている意識のあり方には違いを感じないのです。

誕生することと死ぬということとは人生の流れの中で大きな区切りです。何かそこで決定的なことなのかと考えることで初めて、今、この体て、この環境を生きているということにワクワクするのです。生きているということにますます魅力を感じるのです。

自分としてこの人生をどのように生きてきたのかは、生存中の自分ではわからないものだと考えています。よく自叙伝のようなものを目にしますが、自分で自分の生きた人生を説明したり解釈したりしているのですが、読んでいて鳥肌が立つようなことがあります。空々しいからです。他人が書いた伝記のようなものも、書き手の解釈によって色々と異なりますから、人生というのはなかなか深い謎のようなものだと思っています。

この人生を自分としてどのように生きたのかが、死後周囲から自分に向かってくるさまざまなものを通じで知ることになるのです。きっとそこでは反省のような感触が生まれているのではないかと想像しています。死ぬ前に生きていた自分がどんな人間だったのかそこで初めて見えてくるのではなのでしょうか。そうしたら人様に読んでいただけるような自叙伝が書けるかもしれません。

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