タダイズムの末裔と会い「鏡の中の鏡」が読みたくなりました

2025年7月24日

タダイズムと言っても今日では知る人ぞ知るという精神運動ですが、第一次世界大戦と第二次世界大戦の間にヨーロッパで起こった精神運動です。今日ではスピリチュアリズムというのが時代を象徴する動きとして注目されているようなものと言えるかもしれません。

ドイツのダダイズムの中心にいたヨハネス・バーダーの甥っ子にあたる人でした。ダダイズムの話を聞いていて、今まで知らずにいたダダイズムの側面が見えてきて、二時間があっという間に過ぎてしまいました。

反文明的、反合理的とも解釈されていて、既成の社会的なもの、今までの道徳的な考え方に対して反旗を翻した運動で、私は政治的な運動としてはよく知らないのですが、芸術の世界では抽象芸術、前衛芸術、アヴァン・ギャルド、シュールレアリズムという運動として知られていました。意味というものの枠から外れ、意味のないものに対し意識を向けるものでもあったとも言えそうです。クラシック音楽中の現代音楽というジャンルにもその影響が見られ、例えばジョン・ケージの「4分33秒」という作品などはそうした考え方から見ると面白いものです。この作品は、ピアニストが時計を持って現れ、ピアノの前に何もせずに4分33秒座って、時間が来たらそのまま去ってゆくという構成になっています。つまりピアノから音楽は演奏されることなく、無音の状態の中で、4分33秒の間聴衆はあれこれと考えるのです。これは一例ですが、このような意表をついたものにもダダイズムの思想は生きていると考えられます。つまり既成に対して物申すということです。既成の中で辻褄を合わせているだけの社会の主流に対峙しているので、反体制というレッテルが貼られているだけで、極めて健全な精神運動だったのです。当然戦争が勃発するとたちまちの内に既成のものにまとめようとする軍からの圧力がかかり、捉えられた芸術家も多く、運動そのものも壊滅してしまいました。

一生を風靡して、それで消え去ったかのようにみられがちですが、実は今日でも表面的にではなく潜伏した思想としては脈々として生き続けていると思っています。実際私の中にも規制の概念を越えようとする時のエネルギー源になっているもので、今日のスピリチュアリズムが見えないものを追い求めているのに対して、オスカーワイルドが言うように「今見えているものが一等不思議だ」というように、現実にしっかりと根を張っていた運動でもあったのです。

ミヒャエル・エンデのお父さん、エドガー・エンデはそうした運動の中で、シュールレアリズムという流れに位置付けられていて、意味のないモチーフを探して絵を描いていたのです。ミヒャエル・エンデにも多大な影響があったもので、よくわからない本として、ミヒャエル・エンデの作品の中で特異な位置付けにある、30の短編からなる「鏡の中の鏡」にその影響が認められます。挿絵には父親のエドガー・エンデの作品が18枚使われています。不可解という中で展開する謎めいた作品です。普通の物語として読もうとすると読めません。現実離れしたことが扱われているわけではないのですが、話は訳のわからないところに導かれていくので、いまだに謎に包まれた作品です。ミヒャエル・エンデはタダイズムの思想を背負って生きた作家ではないですが、潜在的にタダイズムの考え方が生きていたように思います。ミヒャエル・エンデと話をした時に、この「鏡の中の鏡」は「モモ」を書き始めてから「はてしない物語」を書いている間も描いていた、自分にとってのライフワークだとも言っていました

 

コメントをどうぞ