ドイツの合理的な食事の未来は宇宙食

2023年9月30日

ドイツは決して食事の褒められるところではありません。健康を優先して、今日の有機とかバイオという考えが普及する前から、この食べ物は健康にいいとかよくないと言うことを仕切りに言っていました。料理が美味しいかどうかより、健康的かどうかが優先するのです。

私はそこで40年以上生活していますが、やはりなんとなく寂しいです。美味しいものが全くないわけではないのですが、食事に満足することはほとんどないと言っていいと思います。そんな中で不満を覚えるのは、食事を作らないことです。特に夕食には、我が家は父親の私が日本人なので平均的ドイツとは異なっていますが、知っているたいていの家は買ったものが食卓に並びます。ハムやチーズそしてパンです。これで夕食は完了です。ハムは美味しいものがありますし、チーズもヨーロッパのいろいろな国のチーズがあります。パンも美味しいです。ところが私には何かが足りないのです。野菜が出ることがありますが、ばさっとスティク型に切ってコップに突き刺してあるだけです。

食材を料理すると言うのは、錬金術くらい特別なことだと思っています。私はグルメの高級料理が美味しく食べられない人間です。高級料理は大抵やりすぎだと感じています。それよりも食材を活かした料理が好きです。大根や蕪がおいしく煮てあったり、魚がいい具合に焼けていたりと、ほとんど家庭料理の延長のような、それでいて料理人の方たちが一生懸命作られたものは格別です。きっと厨房で働いていたら毎日の賄いが大好物になっているかもしれません。

余談になりますが、ある人がハイドンの音楽を「高級まかない料理」と評したことがありましたが、こんなにピッタリした言い方はないと感動しました。私はハイドンも賄いもどちらも大好きです。

日本の料理に対する姿勢とフランスの料理に対する姿勢の間には当然大きな違いがあるのはわかりのですが、私は時々、この二つの国の料理には深いところで共通するものがあるように思えて仕方がないのです。両国とも食材に手をかけ料理します。しかも一度温めたものを冷やしてもう一度温めたりという二重手間をかけたりするのです。そして何よりそんなに時間をかけることを億劫がらないのです。どうしたら美味しくなるかを追求したらそうなってしまうと言う感じでしょうか。美味しく食べたいのです。

ドイツは栄養価と健康にいいかどうかですから、美味しいはとりあえず隅に置かれてしまいます。ドイツの女性は、フランスの主婦たちが1日の多くの時間を台所で過ごしていることを、無駄なことをしている、勿体無いと感じています。もっと他にやること、やるべきことがあるのだろうにと言うのです。ある夕食会の時、参加者が一品持ち込みということでやったのですが、テーブルの上にたくさん並んだ料理を見て、こんなになたくさん食べられないと悲鳴をあげた男性がいました。

ドイツ的に料理の未来を語ったら、合理的で栄養価の高い、しかも健康を考慮した宇宙食に辿り着きそうです。

こんなに食事にこだわらない民族性はなんなのでしょうか。イギリスも色々聞くとおおよそ同じレベルのようです。イギリスで天文学者と結婚した日本の女性が日本の人が日本から来ると聞いて夕食に招待しまし時の話しです。その時彼女は日本の人たちに「美味しいねと言って食べましょうね」と念を押したそうです。天文学者の旦那さんは食事のたびに「なんでこんなにたくさん食べなきゃならないのだ」とぶつぶつ言いなが食べるのだそうです。

ドイツも似たり寄ったりです。美味しく食べるのが罪というのはキリスト教の新教、プロテスタントが強いドイツならではの傾向かもしれません。

味覚、食感、盛り付けの見栄えといったものが食事の多彩さを作るのですが、そこを無視して、合理的になってしまった簡単な食事には時間がかからないという利点がありますが、それ以外の利点はなんなのでしょうか。それを「ファーストフード」の考え方と言うふうにまとめてみると、ドイツに限らず世界中が今この流れの中にあります。しかし時折それに逆らうように「スローフード」が出現しますが主流にとって変わることはありません。世界はどんどん簡略化しています。もちろん和食の国日本も例外ではない様です。未来の日本を今の食事文化から予見するとやはり宇宙食でしょうか。なんだか末恐ろしい荒廃したものが見えてきそうです。

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