笑う門には福来たる

2024年1月11日

今年の初夢です。とは言っても私は夢を見ない人間なので、もしかすると作り夢かもしれません。

笑う角には福来たる。私は夢の中でこの言葉が大好きで、この言葉モットーに生きている人間でした。ですからいつも笑っていました。ヘラヘラとです。雨の日も風の日も笑っているので、人からは精神状態を危ぶまれるほどでした。でも人間一生笑って過ごせたら一番だと自負して生きていましたから、人が何を言おうと気にしていませんでした。子どもの頃からずーと笑い続けていて、親戚中からお「前は福がくる門だ」と言われ、あだ名は「カド」でした。

母はよく笑います。若い女の子の頃は箸が倒れても笑ったものだと言います。でも私はそれを見たことがなかったので、本当かと尋ねると、母はそんなふうにちょっとおかしなことなら何でも笑う材料にしてしまっただけのことよと笑い飛ばしていました。笑うのは遺伝のようです。

父は理屈っぽい人でしたから理屈っぽく笑いを理解していました。笑える時を持てる人はいつも文句ばかり言っている人よりもずっと幸せなはずだ。そこにはきっとたくさんの福がくるのだろう。自分を不幸にするようなことばかり言っている人ではダメだ。笑うことを知っている人間に生まれたというのはラッキーなことなのだ。解っていたのに父はあまり笑う人ではなかったのです。真面目にサラリーマンを勤め上げたことを誇りにしていました。

作り笑いなんてわざとらしいから嫌だとは母の口癖でしたが、それでも笑っていられるのは幸せなことなので、母ほど素質がない私は作り笑いでもいいので極力笑うようにしていました。

こんな私がドイツに留学したのです。あの真面目一本のドイツにです。そして人伝にドイツはあまり笑わないお国柄のようですよ、と聞き心配顔に変わり、体調も崩したりしました。その時だけは私から笑顔が消えていたのです。

ドイツの生活に慣れてからはやっと自分を取り戻したようで、いつもの笑胃が戻ってきて笑ってばかりいました。ヘラヘラしている馬鹿じゃないかと思われていたと思います。というのはこちらでは顰めっ面をして、苦虫を噛んでしまったような顔をしているのが大人の表情ということになっているからです。その方がお利口さんに見えるからです。これじゃ折角の福も、幸せも、急いで門を曲がってどこかに去ってしまいます。そんな顰めっ面からはそそくさと離れていってしまいます。何だか寂しいです。ドイツではそのため、みなさんたくさん保険をかけているようなのです。高い保険金を積んで守ってもらっているのです。そうすれば不幸のどん底に落とされることはないという訳です。それが幸せという解釈のようです。寂しいですね。

ドイツの留学の間、腹を抱えて、はらわたがねじれるほど笑ったことはないかもしれません。日本に帰ってきてからもやっていないので忘れてしまったかもしれません。ぜひまたやってみたいものです。どうしたら出来るのでしょうか。

そもそも笑うというのは体が緊張していると笑えないですから、まず体を解放することです。リラックスしてくださいなんて言われるとかえって緊張したりしてしまいますから、いつもの通りでいればいいのです。他の人がどう見ようと、本人がリラックスしているのがリラックスなのですから。そこに面白いことが来れば笑えそうです。面白いというのは目の前が明るくなるということだと母はいつも言っていました。

夢から覚めたら、夢の中でたくさん笑っていたようで、顔が寝ぼけ顔ではなく、ほくそ笑んだ穏やかないい顔でした。

今年は何かいいことが期待できそうです。

 

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