機械と人間。AIは脅威なのか。
AIの登場は私たち新しい人生体験をもたらしています。判断という分野にはじめて人間に匹敵する、いやもしかするとそれ以上のものが現れ、多くの人にとってはじめての脅威の体験であったのです。
判断は人間固有のもとして認識されていたものです。記憶をベースにした経験からなされるものなのですが、AIに記憶された量は人間のそれをはるかに超えることから、判断の幅が拡大されたわけで、その点からすれば人間以上の判断が可能になったと見ることもできるのです。
しかしAIも機械であるという観点からすれば、ルネッサンス以降、近代、現代に至るまで機械づくりに励んできたのが人類でしたから、驚くには値しないと見ることもできます。
産業革命を見るとそれ以前の道具を発見し、発達させた手工業時代の流れとは一線を引く、機械に任せての物づくりが主流の時代に入ったということになります。人力でしてきたものを動力を駆使して機械でする、動力と機械が人間を肩代わりをするようになったということです。基本的にはAIがもたらした革命に似ているところがあるわけです。
グーテンベルクの印刷術は動力革命ではありませんが、それまで本は手書きで写していたものを印刷機械で大量に作れるようになったわけですから、大量生産という観点からして産業革命以前の段階ですでに象徴的な出来事でした。
18世紀に始まる産業革命は画期的な変化をもたらしたものです。蒸気による原動力の発明があります。この発明により道具を主体とした手工業から、機械化へといっぺんに進みます。特筆すべき成果は大量生産と大量輸送でした。新しい原動力の発明は人力では到達できない力で、機関車のような巨大なものを動かせるようになり、遠くまでものを運ぶことができるようになり新時代の到来を実現したのです。徒歩や馬車ではなく、蒸気機関車による輸送の新しい時代が始まります。これに伴い都市化という社会構造の変化が定着して行ったのです。
コンピューターも一つの機械なのですがかつてのハードウェアーを基本とした計算機と呼ばれた事態から、ソフトウェアーの導入による新しい時代を切り拓いたことで、人間の知力の部分にまで機械が侵入してきたと言えます。特筆すべきは記憶する量の変化です。
筋肉の力を蒸気による機械が肩代わりしたわけですが、それに似た形で人間の知力の肩代わりをコンピューターがするようになるのです。あるいはすでに人間の判断力を超えたものを見せつけられ、これを脅威と感じるようになります。シンギュラリティとして注目されていますが、私たちは新幹線や飛行機を移動の手段として生活の一部にしているように、これからはますます人工知能も生活の一部となってゆくだろうと考えられます。ただ記憶力を主体とした知力が人間の最高の能力とする今日の考え方からすれば、人工知能は脅威と映るのでしょうが、人間には記憶に頼るだけの知力の他に、直感という判断力、あるいは感性という能力があり、理性という倫理の力も備わっていることは忘れてはいけないことです。今は人間社会全体に感性も理性、倫理もが過小評価されています。そのものが持つ本来の力に対して盲目になっているともいえそうです。ということは記憶的知性ばかりがもてはやされている視野界なのです。。人工知能への脅威は今の知力中心の人間の姿勢、社会状況、社会意識が如実に反映されているものなのではないかと思うのです。
人工知能AIはますます一般化してして、専門家の間だけでなくごく普通の人にまで広がり、日常生活の中にどんどん進出してきています。そしてAIに対する信頼度と言えるものが日増し増えているようで、例えばアンケート調査によると、困ったときに誰に相談するのかという問いに、AIと答える割合が、年齢を問わず相当数あるのだそうです。私ごとてすが日本からドイツに帰る飛行機の中で眩暈がして気を失ったことがあります。私は一回切りのものと思っていたのですが周囲が心配するので、検査をしたときにも、医者の経験から色々と診断報告がされた後に、AIに聞いてみましょうということになりました。同じような結論が出たようで、お医者さんも安心しておられました。
AIが結論に導くまでに使える記憶された情報の量は、一人の人間の範囲をはるかに凌駕しています。これが人間以上の結論をAIが導けるという信頼のもとになっています。多岐にわたる記憶からの情報から導かれる結論が人々に安心感をもたらしているというのも皮肉な現象です。そしてさらに不思議なのはそれが客観的な結論と見做されていることです。
今の段階ではこちらからの質問の仕方によっても出でくる結論は当然違ってくるのでしょうが、AIによる答えは客観的という評価は定着しているようです。ところがそこで得られる回答のようなものは客観的と見做されているのでしょうが、一般化という懸念も伴っています。
人間はまだまだAIが到達していない分野を持っています。芸術の分野はその一つです。確かにAIが絵を描いたり、小説を書いたりしていますが、それらは上手に仕上げられているのでしょうが、何か物足りないものを感じるのは私だけでしょうか。