心 またユーモアの実践

2013年9月25日

ユーモアは、なんと言いましょうか、ジョークを飛ばすことではないし、冗談を言うことでもなく、ウイットがきいていることでもなくと言う具合で、これがユーモアですというものがないのですから、色々な人が自分流の解釈を駆使している世界かも知れません。

もしかしたらユーモアの方はみんなに勝手なことを言われて迷惑しているかも知れません。

 

今までも繰り返して来たことですが、ユーモアは水のことが分かると、理解が深まります。

 子どもの頃に不思議だったのは大きな船が海で浮かぶのに、お風呂場では十円玉が沈んでしまうことでした。浮力が内側の体積に比例して働くことを教えてもらうまでは、一円玉ならばと何度も挑戦したりしたものでした。

ユーモアと言うのは実はこの浮力のことではないかそんなことを考えています。実際心の器の大きさに比例してユーモアはうまれる訳ですから、当たらずといえども遠からずではないのでしょうか。心の器と言うのは心の余裕のことでしょうからそこにユーモアと言う浮力が働いていると言う風に考えているのです。

 

人生と言う流れをうまく舵取るには浮力によって水面に浮かんでいないと困ります。人生にはユーモアが必要だと言うのはこのことかも知れません。心に余裕のない人は石の固まりの様なもので浮力が働かないですからすぐに沈んでしまいます。頭に知識や情報を詰め込んだだけの人は心の余裕などとは無縁で石の様なもので、水面下深く海の底に沈んだままなのかも知れません。

 

 

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