純粋感謝の世界        

2014年8月14日

感謝の気持ちが心の底から湧いてきた時の幸せ感は、他に比べるものがないものです。体中がピカピカ光ってきます。

何かしてもらったから感謝する。この種の感謝は、みんなします。しかし、違う感謝、もっと深い感謝の気持ちがあると思っています。

それを純粋感謝と呼ぶことにします。

 

何かをしたとかされたとかいう利害関係だけが、人間関係を作っているものではないはずです。ただ、そういう人が、随分、沢山になってきたので、そんな風に思いがちですが、そんなものが人間関係の基本だとしたら、人間とは、人間社会とは貧しいものです。でも、悲しいかな、今の世の中、そんなもので成り立っているのではないかと疑ってしまいます。だから、戦争が至る所で起こっているのでしょう。

 

純粋感謝の気持ちがどこかにあれば、戦争にブレーキをかけられるのではないかと思うのですが、楽観視し過ぎでしょうか。

兎にも角にも、子どもたちには駆け引きのない感謝を教えなければなりません。利害関係からの感謝ではなく、損得勘定なしの純粋感謝をです。

学校の先生というのは、そのことを先ず、教えられる人になってもらいたいものです。

 

損にも得にもならないような人を友人に持つ、それは、とても大事なことなのかもしれない。そんな気がします。

友達を見れば、その人が分かります。その人というのは、その人の選んだ人間関係の作り方がです。

あいつと付き合うといいことがあるというスタンスで生きている人の友達を見ていると、私の眼には友達づきあいという純粋なものから遠く離れた駆け引きの臭いがしてきます。

 

人間は、友達を必要としています。友達という存在は、人間が自分であるために必要なものです。純粋友達をです。そういう友達によって、生きていることを支えられているからです。

生きることを純粋に捉えられるようになると、友達の種類が変わります。何の役に立たなくても友達だということが分かるようになったら、きっと、その人は一人前といえるのでしょう。

 

感謝も同じなんです。あいつが側にいてくれるだけでいい、という友達感覚と同じで、何かしてもらったから感謝するのではなく、自分が、今、置かれている状況に対して、ただただ、純粋に感謝できるようになるものなのです。

一人前になったらの話しですが。

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