芸術を生きた人、柳兼子

2015年7月9日

you tube に柳兼子さんのドキュメンタリーがアップされています。多くの皆さんに見ていただきたい動画です。

いろいろな場面で考えさせられることが多く、今回で三回見たのですが、見終わった後また見たいと思いました。一時間二十分ほどありますから時間のあるときにしか通して見られませんが、きっと近いうちにまた見るに違いありません。

三回目の今回は、このドキュメンタリーの何が私をそんなに魅了するのか言葉にしたくなりました。

 

柳兼子という一人の女性の人生は、当時はまだ珍しかった女性声楽家であったことや、夫に連れ添って外国に行ったり、そこで当時の西洋の音楽に直に触れたことや、積極的な活動家であった夫とともにあったことで、ある意味派手な人生と言えるわけですが、私にとって魅力あるところはそうした外目の派手さとは別のところにあるようです。

人生というのは、傍目には何もなかったように見える人生でも波乱万丈なものだと私は考えています。人生を大切にしている人ならそのことを知っているはずです。

逆に波乱万丈そうに見えて中身の空っぽな人生も色々と見てきました。周囲に翻弄されただけの貧しい人生です。

人生では、社会的な意味で何をしたのかというよりも、傍目にはどんなつまらなさそうな人生であっても、与えられた人生を真剣に生きたか、どう誠実に生きているのかというところに一番の醍醐味があります。それぞれに与えられた人生の一コマ一コマを、どこまで細やかに生きるかということで人生の価値が決まってくるのだと信じています。

きっと、その人本人にしかわからないものなのでしょうが・・・。

 

柳兼子さんの人生は、妻として、母として、歌い手として全ての部分で全開の人生です。全てが誠実さに満ちています。とてもきめ細やかな人生です。

どこにも言い訳を見つけず、百パーセント妻であり、百パーセント母であり、百パーセント歌い手を生きた人です。ドキュメンタリーの中で様々な角度から思い出を語る人たちの言葉はそのことを証明しています。実に様々な角度から語られています。制作された方に心から感謝いたします。いろいろな切り口から見えてくる柳兼子さんですが、どこから見ても本当に頭がさがる思いです。

夫を精神的にはもちろん、経済的にも妻としても全力で支えた人でした。コンサートの収益で民芸をそろえたという事でした。訪問客は自らの手料理でもてなしたそうです。

声楽家として、教育者としての姿勢は凛として、気品に満ちて惚れ惚れするものでした。着物姿で歌われている姿勢を見ただけでそのことがわかります。

三人の息子さんが愛情深く語る母としての姿にはことさら感動しました。この部分が三回目の時には一番印象に残りました。三人とも嬉しそううに、懐かしそうに、感謝の気持ちを込めて語っておられます。たっぷり愛されたお子さんたちの口から感謝にあふれた言葉がユーモアたっぷりに語られています。母について語るというより、一人の人間をあのように語ることができるというのは、豊かな幸せな人生をその人と共有して初めて生まれるものです。息子さんたちの心の中に今もしっかりと生きていらっしゃるお袋、柳兼子さんを感じながら、私までも幸せな気持ちになってしまいました。

 

声楽家としての柳兼子は特異な存在です。長唄から芸の道に入られたということです。音楽学校に進学し西洋で生まれた発声との出会い。長い年月をかけて習得されて行くわけですが、そのプロセスはまさに命がけの、体を張っての東洋と西洋の融合だったはずです。並大抵の努力では実現できるものではありません。

印象的なのは、番組の終わりで登場する「西洋で生まれた発声法、歌唱法と日本人である私、柳兼子の間に矛盾するものは何もなかった」という言葉です。私は柳兼子さんの舶来品を思わせない歌を高く評価しています。ドキュメンタリーの中の歌声は八十をはるかに超えているのに、みずみずしく滴るようです。その歌声に接するたびに感動するだけでなくいつも新しい発見があります。

柳兼子さんの魂が、もし学者としてあるいは研究者として西洋を学んでいたら、などとつまらないことを考えてみました。その時はその間の矛盾を歌ではなく別の形で表現されたのでしょう。それはそれでとても興味があります。稀有な比較文化論が残されたかもしれません。しかし芸術家である立場から、芸術を生きている人間として、両方の文化を批判的にではなく、共感的に接し、自らの命を両方の文化に捧げることで舶来的声楽を克服され、二つの文化を融合した歌として結晶させたのです。しなやかな心がそれを可能にしたに違いありません。「芸術は円くて優しいもの」という言葉も残していらっしゃいます。美しい言葉です。芸術の真髄です。芸術の持つ課題を余すところなく言いつくしています。芸術に触れるとは優しさに触れることに他ならない、芸術に育てられた心はしなやかなものになるのだと言いたげです。そして芸術がこの力を持っているからこそ、芸術が人生にとって大切だということを、歌を通して生きながらにして私たちに伝えてくださっているのだと思います。

 

初めて聞いた柳兼子さんの魔王の印象は、この歌い手は存在を、その人の生き様を全てぶつけてこの歌を歌っているというものでした。だからといって力んでいるところは全くなく、のびのびとした力強さでした。今歌っているのが日本人であるということは全く気が付きませんでした。後で日本人だと聞いて逆に驚いたほどです。ドイツ語の発音がどうのこうのという段階の話ではなく(柳兼子さんのドイツ語は間違いなく素晴らしいドイツ語です)、言葉の力を、言葉の命を歌っていることが私の心を捉えていました。言葉には命があります。一つ一つの言葉が優しくまろやかに、しかも愛情深く歌われているのです。言葉はコミュニケーションのための道具で終わるものではなく、ましてや意味を伝えるための記号のような道具ではなく、言葉はそれだけで完結した、命を持った存在だということを、目の当たりにしていました。言葉の神様がそこに現れたかのようでした。聞き終わって、カーステレオから流れていたものなのに思わず拍手をしてしまいました。

ドキュメンタリーの中ではカルメンからのハバネラの一曲だけが西洋のもので、それ以外は日本歌曲です。柳兼子さんの歌を聞くまで、正直に告白しますが、何曲かを除いては日本歌曲には馴染めないでいたので、始めは柳兼子さんの三枚組のCDの中から西洋のものばかりを選んで聞いていました。庭の千草(アイルランド民謡です)はその中でも何度も何度も聞きいた歌です。まだ聞き飽きていません。日本語で歌われていましたから日本語の持っている力強さがだんだん体にしみて、日本語の美しさを西洋のメロディーの中で堪能できるようになったのです。それからです。少しずつ日本歌曲を選んで聞くようになったのは。それでも柳兼子さん以外の人の日本歌曲は今でも少し距離を感じながら聞いています。

 

柳兼子さんは日本の歌と西洋の歌とを、西洋の歌は「叙情」とし、日本の歌を「情景」と特徴づけています。

西洋の歌は心にいろいろな思いをいっぱいにして歌うものだとおっしゃっています。それに引き換え情景で語る日本の詩、そこから生まれるメロディーは風景をしっかりイメージしなければ歌えないので難しいとおっしゃいます。西洋の歌を勉強しただけでは歌えないと言いたげです。

私はこの言葉の持つ意味をこれからもかみしめて行きたいと思っています。そして、日本生まれの俳句は、情景描写から人の心を感じさせるものだということを、柳兼子さんの言葉に触れながら感じていました。

 

三回目を見終わった後、心というのは言葉でもって自分が説明するのではなく、芸術的な力で相手に感じさせるものだということを感じていました。

それは芸術という魔法の中だけで可能なもののようです。  

One Response to “芸術を生きた人、柳兼子”

  1. 海津にいな より:

    解説を読んでより柳兼子の素晴らしさが分かりました
    ありがとうございました。

    当ブログにコピペさせていただきます。

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