エフゲニー・キーシンのピアノ

2017年3月31日

エフキニー・キーシンは今年四十六歳になるピアニスト。久しぶりに彼の演奏を聴いて、YouTubeでしたが、目から鱗で、ノートパソコンからの音なのに釘付けになってしまいました。同時に演奏の持つ奥深さを教えられた思いがしたので報告します。クラシック音楽は作曲する人と演奏する人に分かれています。その演奏の側のもつ神秘はなかなか体験できないものですが、キーシンの演奏で久しぶりに演奏の不思議に出会えた思いがしたのです。

四十六歳のピアニスト。これだけの説明なら私の周りを見渡すだけで幾らでも居るので珍しくはないのですが、すでに演奏活動三十五年となると、世界広しといえど彼の他に何人数えられるでしょう。十一歳ですでにコンサート歴を持つ早熟な少年でした。早熟に焦点を当てれば、他に何人も居るのでしょう。今日の社会的な傾向でもありますから、五・六歳くらいの子どもが大人顔負けの演奏している様子が動画にアップされています。が、キーシンの素質はその後も着実に成長を遂げたことで、しかも彼だけが到達できる高みに到達したことです。
彼は音楽コンクールに縁のない人で、今日音楽活動をする上で(商業的にということです)不利を強いられるわけですが、そんな逆風をものともせず、高い評価を得て、世界をまたにかけて精力的に演奏活動を行なっています。

私を釘付けにしたのはシューベルトのピアノソナタ17番ニ長調D850でした。実はこの曲、今までどう聞いたらいいのか分からずにいた曲の一つで、好きで繰り返し聞くシューベルトのソナタですが、この曲だけはいつしか避けて通るようになってしまっていたのです。
ニ長調の難しさ、シューベルトとニ長調は相性が悪いのだと心の中で決めていた節もあります。そもそも歯切れがいいのがニ長調ですが、度がすぎるとシューベルトではなくなってしまいます。あるいはメロディーに拘りすぎるとニ長調が後ろ髪を引かれるようなモタモタしたものになってつまらないものに変わってしまいます。じつに厄介な曲なのです。
そのシューベルトのニ長調がキーシンの演奏で蘇った、そんな思いで聞いていました。
キーシンという演奏家が紡ぎ出すピアノの音には驚くほどの幅があります。鋭い覚めた音から瞑想的と言っていいほどの眠り込んでしまいそうなとろける音まで自由自在に弾き分けます。ところがその一つ一つは、技巧的ではなく、キーシンの人となりに裏打ちされているので全く嫌味がないのです。この点ではチェロのエマヌエル・フォイアマンによく似ています。キーシンが弾いているというより、キーシンは音楽に誠実なだけなのだという気がします。演奏は解釈ではなく、音楽が求めているものを聞き分け、それに忠実に従っている、そんな誠実さです。
特に感銘を受けたのはどんなに早くなっても一つ一つの音に責任が感じられることでした。音が大きくなるところでも唯音量として大きな音というのではなく、しかも勢いに任せて弾いてしまうということもなく、どの音を一つ取ってもキーシンの演奏意志のコントロール下にある素晴らしいものでした。一音一音に全く隙がなく、この曲の隅々まで味わうことができたという満たされた演奏でした。
Evgeny Kissing plays Schubert and Scriabin – YouTube

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