楽器を弾く指の動き。没個性を目指して。

2018年3月31日

指の巧みな動き、その美しさに見惚れることがよくありますが、演奏家の指さばきもその一つです。

ピアニストの指は鍵盤の上を目まぐるしく動き回ります。ある時は想像を絶するような速さで動き回っています。強さも尋常でないことがあります。ピアニストだけではなく弦楽器の奏者も同じように音を探し求めてまるで曲芸師のように動き回ります。

そうした動きは音楽があるから可能なのだと考えています。音楽に導かれることであのとんでもない動きは生まれるのです。

もしピアノから離れ、音楽がなかったらと考えてみると、そんな風に指を動かすなんて精神異常者に間違えられてしまうかもしれません。それだけでなく、音楽なしであの動きをしたら、必ず指を壊してしまいます。指だけではなく腕も腱鞘炎の犠牲になること請け合いです。

早い動きはとても興味深いものですが、ゆっくりの動きもなかなか魅力のある動きです。素人目には早い動きがインパクトがあって印象に残りますが、ゆっくりの動きの味わいは玄人好みと言えるかもしれません。もちろんこのゆっくりの動きも楽器から離れ音楽なしでやったら精神異常者に間違われる可能性大です。

そうしてみると演奏というのは、正常なのか異常というべきものなのかの、なかなか際どいところにあるものだと言わざるを得ないもののようです。

 

音楽に導かれる指の動きと、音楽を弾こうとしている指の動きは違います。もちろん指の動きだけでなく、音楽の質にも違いが見られるものです。

音楽に導かれて指からは癖のないピュアな音楽が生まれます。しかし弾こうとしている指から作られる音楽は一癖も二癖もあって、世の中にはこれを個性と言っている向きもありますが、私には自己主張以外の何物にも聞こえないものなのです。

音楽に導かれている時は手の内側に力のインパクトがあって、動きのすべてがそこから生まれるのに対し、弾こうとしている時の指は手の甲から動きをもらってきます。つまり演奏する人の意思が無になればなるほど手の内側に力が集まり、そこから、ピアノの場合、指は鍵盤の方に引っ張られるような動きになりますが、弾こうとする意思が強く働くと手の甲に意識が集中してきます。ある意味作為的になります。

手の内側はなかなかコントロールできない部分で、そこに力が宿るようになるためには訓練というのか修行と言ったほうがいいのか、気の遠くなるような練習を積まなければならなようです。

この違いは手の形や指の形からは、ちょっとみただけでは読み取りにくいものですが、その違いを習得した人間には、直感的にとしか言えないですがわかるものなのです。顕著に現れるのは実際に演奏された作品の出来具合です。

ピュアな音楽に憧れるのなら、手の内側に力が集まるように修練を積み努めることなのですが、意識でコントロールできないので、一人でするのは難しいです。そこのところをよくわかっている先生に出会えるのが一番の近道のようです。一人でやっていると、手っ取り早く上手に弾けるようになりたいという落とし穴が待っていますから。

個性的なものにはならず、没個性、無個性という何度聞いても飽きない音楽が生まれるためには大変な年月が費やされているもののようです。そして、どんな芸術にも共通していることですが、優れたものというのは、もう一度その作品の世界と出会いたいということに尽きるのではないのでしょうか。

 

 

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