芸術セラピーは御洒落なセラピーです、か?

2012年8月28日

芸術という言葉は最近では芸術療法、芸術セラピーとしての方がよく知られているかもしれません。

その内、音楽と言うと音楽利用法、音楽セラピーのことだと思ってしまう若い世代が登場するかもしれません。

絵画も同じです。

絵画療法、絵画セラピーのことは解っても、そもそも絵画が何なのか解らない人が出て来るかもしれないのです。

 

セラピーは今一番社会的に勢いのある動きです。仕事としても立派にやって行けます。

そのうち五人に一人はセラピストなんて時代が来るかもしれません。

それほど現代社会がセラピーに染まってしまったということです。

芸術療法以外には物理療法、心理療法と至るところに療法師たちがわたしたちを待ち構えているのです。

その背景には社会の病気好きが潜んでいます。

 

私はその現象がとても不思議です。

昔テレビが登場した時に、当時の社会評論家が、大宅荘一だと記憶しているのですが、一億総白痴化と豪語しました。

みんなテレビばかり見ているとそのうち一億人すべてがテレビに毒されて白痴になってしまう、という意味のことです。

一億の人がみんなセラピーに通い始めたらどういう時代が来るのでしょうか。

そんな時代がすぐそこにまで来ている様な気がします。

 

ドイツの保険会社の報告だと、呑まずにほったらかしにされた巨大な量の薬が、箪笥の肥やしになっているというのです。

現代社会の病気好きは徐々に浸透して、先ず薬好きを作りました。薬で病気を治すという考えは一時期当然の様にまかり通っていました。そして今はセラピーです。みんなセラピー大好きです。

表面的な見てくれは違いますが、基本的には同じです。

現代人は病気が好きです。そして薬を作り、セラピーを地くりました。

現代人は心の奥で病気でありたいと願っている様な気がすることもあります。

 

公共の乗り物に乗って人の話しを聞いていると、いやという程病気の話しを聞かされます。

病気であることは何かのステータスなのでしようか。

沢山病気を持っているのは偉いことなのでしようか。

なんだかそんな嫌味を言いたくなる程です。

 

障がいを持ったお子さんのケアーに就いていた時、不思議な経験をしました。

子どもたちの中で、多動といわれる子どもが手に負えない程落ち着きを欠いている時に、怪我をしたことにして腕ぐるぐる包帯を巻くのです。

すぐに静かになります。

鎮静剤などという危ないものを使わなくても、本当に静かになります。

薬で抑えてるのは何処かに無理があります。副作用ではないのでしょうが、薬が作る不自然なうるささがあります。

包帯は全く自然で、子どもはしっとりと静かになります。

 ある時子どもが本当に腕を骨折してギプスょをはめなければならなくなりました。

二週間ギプスをしている間、その子ははまるで別人になったかの様に、落ち着きがあり人の話しをよく聞いてくれました。

包帯、ギプスと大袈裟な手当をしなくても、傷バン、バイドエイドの様なものを指に巻くだけで、子どもはおとなしくなります。

 

大人にも当てはまります。

自分をコントロールできなくなった時、病気を作ると落ち着くのです。

逆に自分で自分がコントロールできなくなると、体の方が反応して病気でその人を落ち着かせるのです。

なんの病気でもいいんです。

そしてそれに対してセラピーを施す。

 

きっと病気に侵された現代は、社会的な規模で、自分を持て余しているんです。

自分をコントロールできなくなってしまったのです。

それで病気のふりをするのです。でもここが危なくて、仮病を装っているうちに、自己暗示に掛って本当に病気になってしまいます。

現代社会に蔓延している病気の相当の部分が自己暗示に掛っているのかもしれません。

 

自分がみつからないのです。

自分がコントロールできないのです。

自分を持て余してしまったのです。

そしてセラピーの後を追っかけているのです。

芸術療法はとてもお洒落なセラピーだと電車の中で誰かが言っていました。

 

 

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