ドイツ人の散歩好きの理由

2012年9月16日

ドイツ人は根っからの散歩好きです。

ドイツ人を語るには先ず散歩から、散歩のことをおいてはないと思うので一文をしたためます。

 

頭で考え過ぎているので、頭の中が煮えくりかえってきて、それを冷やすための手段が散歩だと三十五年の経験から断言できます。

ドイツの人たちは考えるというのを主に頭を使ってやります。頭で考えるのです。そして頭が疲れてしまいます。すり切れそうな時もあります。

考えるのは基本的には頭です。当たり前だと言われそうですが、日本人は頭で考える部分がドイツ人から比べたらはるかに低いです。日本人は頭以外のところを使って考えています。だから日本人は、散歩をしなくても生きて行けるのです。

ドイツ人は散歩をしなかったら死んでしまいます。

 

日本人は基本的にはお人好しですから、人を疑ることはありますが、それよりも信じてしまいます。騙されやすい人たちです。

これは頭で考えていない証拠です。

頭で考えたらみんな疑って掛ります。疑って、疑って、疑り抜くところがあります。そうすると体が冷えて行きます。その冷えを温めないと生きて行けないのです。それで散歩が必要だというわけです。

 

頭で考えていると言うのは日常の言葉にも表れています。日本人でドイツに生きていると、ノーが何事においても先行していることに疲れることがあります。言語全体がノーを基本にしてできていますから、喋るだけで疲れるのです。

「あなたがもしそれをやりたくないのなら・・」、とか「あなたにそれをやってほしくないとは言っていません・・」とか、頭がこんがらかって来ます。

こういう文章は、どんなに言葉ができる様になってもなかなか言えないものです。

 

「負の言語だ !」とめいってしまうこともあります。

日本語で否定する言葉が出てきたら、印象としては相当強い文章になります。相手を傷つけるかもしれません。

ドイツ語では、否定する言い方で物事をはっきりさせる習慣があります。

これは文法からでは説明できない、文化の持つ癖だと思っています。

何時かドイツの人たちに、散歩の代わりに肯定的にものを言う様に薦めてみようと思っています。

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