ちちんぷいぷい

2021年4月8日

ちちんぷいぷいは私の子どもの頃は当たり前のおまじないでした。

ドイツの生活の中でも、孫が転んだりどこかにぶつかったりぶつけたりした時には必ず唱えでいます。孫達はなんの不思議も感じずにおまじないを受けています。効いたのかどうかは確かめていません。

ドイツには「治るよ治るよご加護があるから(heile heile segen)」という感じのおまじないがあります。これはなかなか効くようで、ドイツ人の間では大切な民間治療となっています。

 

ドリフターズの加藤茶というコメディアンによって「痛いの痛いの飛んでゆけ」というのがテレビを通して流行り始めたことろ、「ちちんぷいぷいのほが訳が分からなくてよく効くよなぁ」と思ったものでした。「痛いの痛いの飛んでゆけ」では全然魔法にかからないので、治らないと思います。やはり日本のオリジナルは「ちちんぷいぷい」でしょう。

 

我が家では、昔からものを移動するときに「てんてんどんどん」と言っていました。何人かで、例えば机などを移動するときの「おまじない」です。ところがすっかり名詞化していて「てんてんどんどんするから手伝って」というふうにも言います。何人かで机を持って「てんてんどんどん」と言って運ぶとなんとなく上手くゆくような気がしたものです。もしかしたら大昔のエジプトのピラミッドの巨石を運ぶ人たちの間でも「てんてんどんどん」のような掛け声があって、それをみんなで口を揃えていうと、石が軽くなったりしたのかもしれません。

 

これらのおまじないは共通していて、みんな意味がわからないのです。知り合いのお坊さんが、お経は聞いていてもたいてい意味がわからないですが、意味がわからない方がいいのですよ」と言っていました。私が若い時に、それまでは漢語でしか読めなかった仏教のお経が、日本語訳されて読めるようになりました。それを読んで「意味がわかる」と大喜びをしたことを覚えていますが、ちょうどその頃に先程のお坊さんの「意味がわからないで、ただ音を聞いているだけの方がありがたいのです」という考え方に触れました。その後の人生経験の中で、私も「お経は音だけの方がいい」と思うようになり、意味が説明されているものが邪魔くさく思うようになったのです。

 

「ちちんぷいぷい」と「痛いの痛いの飛んでゆけ」との違いは、もしかしたら呪術と医療の違いなのかもしれません。少なくとも文化を支えている根本ところにズレが生まれた結果のような気がしてならないのです。

特に大きいのは、言霊への信頼、言葉の響きへの信頼と、言葉は意味を伝えるものという考え方の違いです。この間の隙間の大きさは否めないでしょう。

ところで、次の世代の子どもたちはどんなふうに転んだ時治されるのでしょうか。

 

 

 

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