何をではなく、どう言うかが大切です

2022年2月19日

何か大切なことを言おうとしている時に、一番考えるのは「どう」話を切り出すかと言うことです。

言いたいことは決まっているので、そこはいじれないわけで、悩むのは「どう」切り出すかと言うことです。

うまく行くか、うまく行かないかはこの「どう」にかかっています。

下手に切り出せば、台無しですから、そこは慎重にならざるを得ないのですが、この「どう」はなかなか厄介なものです。相当工夫が必要だと言うことです。言葉数が多ければいいと言うことではありません。

 

ドイツの諺に「Ton macht Musik」というのがあって、Tonは音のことでmachtはするとか作るで最後のMusikは音楽です。しかし「音が音楽を作る」という直訳では何も伝わらない、奥の深い諺です。

「言い方次第」と思い切って訳した方が真意に近いようです。

つまり、「ものには言い方があって、言い方次第でその話がうまく纏まるかどうかが決まる」ということです。音楽に置き換えれば、音楽は演奏次第と言うことです。同じ音楽も演奏者によって随分違うものです。下手な演奏を百回聞いても、いつまでも訳のわからない音楽が聞こえてくるだけです。

言い方でしくじるとたどり着くべきところに辿り着かないのです。「そんなつもりではなかった」と後になって言い訳をしても後の祭りです。慎重に切り出さなければならないのですが、緊張したりしたら帰った台無しです。熟練した慎重さが必要です。

 

シュタイナーは物事を説明するときに定義づけをしたり、概念用語で説明するのではなく、イメージを用い、イメージに訴えかけることを奨励しています。Bildhaft映像のようにと言うのですが、ビジュアルと言うこととも違うようです。

イメージと聞くと曖昧な感じを受けますが、決して曖昧な、と言うことではありませんから、具体的な、話に焦点があっていなければならないので、鮮明なイメージが要求されます。

急がば回れのようなもので、遠回しに説明することにもなりかねないので、話しては相当しっかり目的を意識していないとできない芸当です。ただ他人からの受け売りの知識で語るのとは大違いで、自分自身で本当のことがよくわかっていないとできないことです。

いつも思うことですが、本当にわかっている人の話はわかりやすい物です。そのわかりやすさは遠回しになってもいささかも気にならない不思議なものです。逆に言えば、本当に知っていることだけを話せと言うことのようです。

シュタイナーの言葉を読んでいると、直線的でないのですが、くねくねと回りくどくても、話の流れの中に隙間がないのは不思議です。矛盾していたり、全く関係のないようなことを言いながら、いつしか話はたどり着くところにたどり着いていると言った感じです。もう名人芸としか言いようのない物です。

隙のない話し方はぜひ見習いたい物です。理詰めで話している人の話は、一見筋が通っているように聞こえても、それは表面的にそう言う流れが生まれているだけで、深掘りすると、他人からの受け売りのようなもので荒が目立ち隙間だらけのものが意外と多いものです。

 

 

コメントをどうぞ