2012年1月10日
今日は友人檜山邦彦さんのことを書いてみます。
檜山さんの奥さん、祐子さんから一月の初め、突然「邦彦が入院しました」とメールをいただきました。
どうやら脳に腫瘍ができているらしく、そこから幾つかの問題が出てきているようです。
詳しくは週末、成人式の休みが開けてから詳しい検査結果が出るということでした。
明後日が四十二歳の誕生日で、これで後厄が抜けたのにと本人は言っているそうです。
檜山さんは、窓口雑誌ピアニッシモの表紙絵を書いてくださいました。またピアニッシモにも毎号、花巻通信を書いてくださっています。それから私が今 まで出した楽譜の表紙絵そして挿絵、また小冊子「あなたはだあれから始まるシュタイナー教育」の表紙絵も書いてくださいました。
私も大病の経験があります。大病の後、人生が変わることを経験していますから、その経験から言うと、今檜山さんが今までの人生とこれからの人生の間に立たされている様な気がしてならないのです。
人生の節目というのでしょう。その時期には、どうしてかよく解りませんが、自分を固めてしまうのです。まさに節目です。
私の場合は体全体が固まってしまったような感じでした。干からびている様でもありました。呼吸している息すらも体の中には入って行かない、そんなな感じがしたものです。
檜山さんも固めてしまったのでしょう。脳に腫瘍の様なものを作ってしまいました。固めたところが違うだけで、私の当時のことを檜山さんとダブらせています。
大病は、病気の本人が自分にイライラしたりするものです。思い通りによくならないですからとても辛いです。
しかし同じ様に看病に当たる周りの人も大変です。
一日も早く健康を回復されて、お二人に新しい人生が開けることを心からお祈りいたします。
2012年1月2日
新年、あけましておめでとうございます。
ライアーゼーレの仲間たちの皆さん、今年がよい年になるようにドイツから、一生懸命祈っています。
今年もどうぞよろしく。
新しい年が始まりました。
昨年を振り返ると、地震、津波、原子炉爆発による放射能汚染の年でした。
今年は去年の大変さを噛みしめ、咀嚼して、それをばねに大きく飛躍したいものです。
どんなことがあっても思いだけは明るく前向きに生きて行きたいです。
アジアの国々にシュタイナーの風が吹き荒れています。
各国から頂いた新年の挨拶から、そのことを強く感じます。
いろいろなところで、新しい世界像が必要なのだと思います。
物質だけでは説明できない、人間のもつ深み、不思議を知りたいという思いが、この風をおこしているのです。
世界が変わろうとしていると肌で感じます。
中国、台湾、韓国へと、今年はい足を延ばすことになっています。
このアジアに吹き荒れている、新しい風を日本に持って来たいものです。
みんなで大きな飛躍の年にしましょう。
ライアーゼーレとしては、合奏用の楽譜と第六枚目のCD、シューベルトばかりを選曲したもの発売を今年は予定しています。
今年もどうぞよろしくお願いいたします
2011年12月17日
ものにはいい方がある。
レトーリックという。
こんな具合だ。
自我でもなく無でもなく。
しかしこれは否定的な考え方だろう。
自我か無か。
これは取り合いで、喧嘩の様な感じがする。
自我でもあり無でもあり。
これがどうやら一番私向きの様だ。
自我というのは能動的。
自分のほうから積極的に外に向かって働きかける。
無といのは受身的。
相手任せの消極的な様なところがある。
そもそもみんな両方を持っている。
しかし現実には持っているのにうまく使えないでいる。
使い方を間違えると落とし穴に落ちてしまう危険もある。
ちなみに自我の落とし穴はと言うと、とても豪華にできていてまるでお城の様だ。
至る所に鏡があって、映っている自分が見える仕組みになっている。
だから着飾りたくなる。
着飾った分見栄えがよくなる。
見栄えのいいのは服ばかりでなく、言葉も見栄えがいい。
要するに見栄っ張り、ということ。
無の落とし穴はというとこれはちょっと違う。
そこはすぐに落とし穴に落ちたちと解る仕組みになっている。
しかし居心地はあまり良くないから、そこに居る間反省ばかり、「自分がいたらないから落とし穴に落ちてしまった」と。
実に謙虚である。
落とし穴に出るのは自分が出る時期が来れば自然に出られると思っているから、その時を待っている。
この二つ、ご存知だとは思うが、みんなの中にある。
私は、自我でもあり無でもありだから、この二つを一つにしたいと願っている。
この二つ、お互いなかなか頑固で曲者だから、力任せで両方から押し合っても決してまざらない。
そこで私が思いついたのは融合だ、つまり融かすことだ。
二つを溶かして一つにする、そんな力が要る。
それを探している。
なんだかとても熱いものの様な気がする。