繊細さの極め

2023年6月1日

床屋さんに知り合いがいて、彼と彼の使っているハサミの話になって、そのハサミの値段が私の想像を遥かに超えていたことと、そのハサミのメンテナンスをする研屋さんの技量がこれまたとんでもない繊細さだったので、話しを聞いた時はしばらくぼんやりしてしまったほどです。

彼の使っているハサミの値段は十万以上だと言うことでした。しかもそれが最高ではなく、まだまだ上があると言うことで、私が子どもの頭を刈るのに大枚を払って買ったハサミと何が違うのかが想像できないので、しつこく聞くと「ハサミが勝手に切ってくれる」と言うことです。「その手応えを感じられるのは十万円以上のハサミに限る」だと言うことです。ハサミが自分で勝手に切ってくれると言うのは、床屋さんはただハサミを動かしているだけと言うことのようです。切ろうとして力を入れて切ると指が狂うので床屋さんは切っている時、出来上がりの髪の形をイメージしながら手を軽く動かしているだけと言うことのようでした。確かに側から見ていれば髪の毛を切っているとしか見えないので、素人目には素人の使うハサミで切っているのもプロが切っているのも似たような動きに見えるのでしょうが、内実は次元の違う世界のようです。

さらに驚いたのはメンテナンスの話でした。

一年に一回研ぎに出すと言うことで、いつも決まった研ぎ師にお願いしているのだそうです。なぜかと聞くと、「私の癖をハサミから読み取ってくれて、その癖が使いやすいように研いでくれるから」と言うのでした。その知り合いの床屋さんは一度浮気をして別の研屋さんに出したらとんでもないハサミになって帰ってきたことがあったのだそうです。研いでもらったので研ぎに出す前より切れるようになっていたはずなのですが、その床屋さんの癖を顧みず、一般論としての切れるハサミになって帰ってきたと言うのです。「そのハサミは切れるには切れるようになって帰ってきたのに、使いにくくて、仕事上一日に何人ものお客さんの髪の毛を切るわけで、途中で手が痛くなってしまい、挙げ句の果て指が攣ってしまった」そうで、勿論すぐにいつもの研ぎ師に研ぎ直してもらったと言っていました。研ぎ師の親方は「癖を無視したら使い手の床屋さんが苦労しますよ」と平然と言っていたそうです。

 

ある調律師の話しです。

その調律師は有名なコンサートホールの専属の調理師で、六十を超えても未だ現役の経験豊富な白髪の調律師でした。その方は演奏家の後ろ姿を見ればその演奏家の好みの調律に仕上げられると豪語していました。直接の出会いがないときは、写真でもOKなのだそうです。

ピアノの調律は、調律する人によって違ったものになるという不思議なものです。調律のことを知らない人は機会を使って合わせられるのではないかと思われるのでしょうが、それでは生きた調律はできないのです。私もライアーの調律をしなければならないのですが、機械で合わせることは初めの頃にやっただけで、あとは初めに一音を音叉でとって、残りは自分の耳で調律しています。私にとって一番響くように調律します。それは平均律に基づいた調律ではない、私独自の調律ということになります。それを別の人が聴けば、狂っているというに違いないものです。調律師として他人である、しかもよく知らないピアニストのために調律する、しかもその人の後ろ姿に見合った調律をする、そんなことができるなんて想像を超えた話です。

 

教師にはもしかしたらこれくらいの眼力が求められているのではないのでしょうか。子どもの癖を見抜いて、その子どもにあった教育をするなんて、御伽噺の世界の話なのでしょうか。教育学部を出て教員試験に通れば教師になれるわけですが、それってなんとも味気ない話のように思えてならないのです。

教師が変われば教育に変化が生まれる気運が生じるような予感がします。

話すことことは健康にいいことです

2023年5月29日

昔から話すは離す、放すに通じると言っていましたが、今回久しぶりに大阪の富田林での講演会でたっぷりと二時間を二回話して、ますます実感しました。

人間の頭の中というのは想念が渦巻いているところで、1日に換算すると数万もの思い、想いが頭の中で、生まれては消え、を繰り返しているということです。私はもっと多いかもしれません。

そんな想念ですが、本当に消えてくれればいいのですが、どうやらその幾つかはうまく消えずに残っているような気がします。さらにそれらは案外しつこく居残っていることがあり、そういうものが私のブログのテーマになっています。

今回の富田林のテーマは言葉でした。このテーマは振り返ると繰り返しテーマにしてきたもので、実際にいつも考えていると言ってもいいくらいのものですから頭の中に沈殿しているものも多く、こういう機会をいただいて思いっきり吐き出すことができるのは実にありがたいのです。

今回は言葉の奥にある沈黙のことにも触れなが話すつもりで講演を始めました。とは言っても始める最初の二、三分くらいしか準備をしていないので、その後の話しは船出をしてしまった講演ということで、もう私がコントロールできるものではなくなっていて、「向こう任せ」で話し続けるしかないのです。

このようなことを聞くと、聞き手の人は「なんと無責任なことを」と思われるかもしれませんが、私としては、無責任どころか、私が何年も蓄積してきたことなので、責任以上の手応えを持って話しています。ただ話の流れの手綱は私が意図して引いているのではなく、今言ったように「向こう任せ」だということです。

小説などは無理にストーリを書き手が決めてしまうと、頭でこね回したつまらないものになり、大体は失敗作の部類に入ってしまいます。書いている人間が自分で驚くようなものが書けると、読者も面白く読んでくれるのではないかと思っています。

話しているときに、私の中で燻っていたものが、時にはイメージとして、時には言葉として湧き上がってきます。それを追いかけるように言葉でつなげて行くのが私がしている講演という作業です。学者さんたちのように勉強してまとめたものを報告するというのではなく、今生まれたばかりのことを皆さんにお話ししているので、内容は取り立ての野菜のように新鮮だと思っています。その上私にとっても意外だったりして、自分でワクワクしていることもありますから、聞いている人たちもきっとワクワク聞いてくださっていると思っています。

私はこういう、話す、離す、放す機会を多くの人が持てばいいて願っているのですが、苦手にしている人の方が多いようです。大抵は話す時に、前もって話すことをまとめてしまうようなので、私の立場から見ると、それでは話していることにはならないような気がします。放す、離す、話すのは勇気がいるものです。無責任なことは言えないという気負いがあるとできません。どうせ大したことなど言えるわけがないと、気負わないことです。ところが私が大したことだと思っていることというのは、案外他の人にとってつまらないことだったりするのです。私の中から自然に出てきた言葉のようなものの方が、聞き手の多くに届いているものなのです。

 

鎌倉散策、佐助稲荷

2023年5月25日

久しぶりに旧友の浅田豊さんと鎌倉を散策しました。彼の実家は鎌倉、私は逗子ということで、ちょうど二人が同じ時期に日本にいることは珍しいのです夕方に鎌倉の駅、それも俗にいう裏駅で、落ち合いました。今人気の江ノ電の入り口でもあり、それなりの人数でしたが、静かな場所です。

小町通りの多人種による人混みとは違って、駅の裏口を少し離れ、鎌倉市役所を横目に過ぎると、人通りもほとんどない閑散とした家並みが続く、しかも緑がたくさんある散歩道です。山が近いのでトンネルが掘られていて、それがいい味を醸し出しているので、つい足がそちらに向いてしまいます。途中にある銭洗い弁天には寄らずに佐助稲荷の方に向かいました。

若かりしころこの近くに住んでいた友人の家で、毎月一回、我らの同人誌さまいゆの集まりがあり、文学を語りながら、貪るようにレコードで音楽に聞き入っては、熱く語りあったのもので、当時も頭を冷やすのこの近くを歩き回ったので、一応どの景色にも家並みにも覚えがあり、なんとなく当時のことが思い出しながら歩いていました。

当時の私は何年間か聞き込んだモーツァルトから離れシューベルトに移行する時期でした。モーツァルトはk 1 から k 626まで当時録音で聴けるものはほとんどきいていていたのですが、その頃はモーツァルトのピアノに何かが足りないことを感じていた時で、シューベルトのピアノ曲にに出会い新しい可能性を音楽の中にと同時に、自分の中にも感じていたことです。そこからシューベルトの音楽の世界に没頭が始まったのです。

そんな懐かしい昔を思い出しながら、佐助稲荷の入り口に辿り着きました。赤い鳥居が立ち並ぶ、狭く長い階段を二百段くらい登ると社があります。静かにポツンと建てられています。

逞しい太い木が山の斜面を覆うてしぎな景観です。浅田くんのおばさんの友人がロシアのピアニスト、リヒテルの日本での通訳者だったので、昔から折に触れリヒテルことをいろいろ聞いていたのですが、この佐助稲荷は彼のお気に入りの神社だったとその時知らされました。さもありなんと納得できるものがあります。山の斜面の深い森は人の手木はいらない居場所で、北海道で何度か行った原生林に近いものを感じていました。

この神社はポツンと深い山の中にある、決して観光の人が訪れることのない神社です。私の神社に詳しい友人が言うには佐助稲荷はとても格の高い神社として神社関係では大切にされている神社だと言うことです。こんもりとした森の中には、間近に大きな鳴き声で鶯が鳴き、キツツキが飛んできたり、小さな鳥たちが遊ぶ、自然との一体感を満喫できる場所で、壊れかけたベンチに座り、当時のように音楽のことから文学のこと芸術のことを、当時の熱血漢は遠く消え去り、のんびり気ままに話しながら、七十の初老の二人が、清められている空気の中でしばらく時間を過ごしました。

神社とはいえ小さな社が一つ立っているだけです。これは表向きの姿で、社が立てられる前の本来の要となっているのは、磐座であり神木ですが、そこに向かうには社からさらに山を登らなければなりません。どこまで近づけるのかは知りませんし、今回は装備もできていなかったので諦めました。人家の並ぶ住宅街をちょっと抜けただけなのに、森に囲まれた坂の上にある神社はそんなに多くないので、今までに何度も言っているのですがもまた行きたくなる神社です。