一週間の監禁状態

2022年1月25日

先週の水曜日の朝に羽田について、そこで検査を受け陰性と判断されてから、品川のプリンスホテルに移動し、明日の朝の検査で陰性と判断されれば逗子に帰れます。公の交通機関が使えないので、そのためのハイヤーは予約してあります。瑞氏に帰ってからも最初の四日間は外に出ること人に合うことは許されていません。

 

今は最後の夜をホテルで過ごしています。幸い31階という高さから山手線の内側の全貌が見渡せるため、見晴らしはよく特に夜景は見応えのあるものです。

しかし個室に六日間も閉じ込められていると、それだけで疲れます。部屋以外にはどこにも出てはいけないため、15平米の部屋に全てが閉じ込められてしまうため、発散する場所がどこにもなく。部屋のドアもお弁当と検査のためのものを受け取り、渡す時だけ開けていいので、外との接触はただ窓の下についている風通し用の開閉のみとなり、相当濃度の高い密室生活でした。幸いテレビとインターネットを介して外とのバーチャル的な交信は取れるので、音楽を聴いたり映画を見たりと気晴らしはできるのですが、人間にとつて一番の解放は人間との接触だとつくづく感じた一週間でした。

差し入れがあったのですが、蜜柑とお菓子がはいっていたのですが、差し入れは単なる「もの」以上のもので、人間とほど同じくらいのクオリティーを感じました。蜜柑のビタミンCだけでなく、人間味を通して疲れが解放された瞬間でした。

明日の検査結果待ちですが、とりあえずは今日が最後のホテル生活となるためか、今までの疲れをひとしお感じています。午後に少し昼寝をするだけのつもりが夜の6時半までぐっすり寝てしまいました。いつものようにドアの外に置かれているお弁当、幕の内弁当、を取りましたが、無印商品の真っ白な洒落た湯沸かしでお湯をわかし、持参した木製のお椀にかつ節ととろろ昆布と醤油を入れ、沸いたお湯を注いでお汁代わりを作る所までは行かず、しばらくぼんやりとベットに寝そべっていました。

夕食に手がついたのは10時を回ってからで、小腹が空いた感じがしたので、封を開け、綺麗に並んだ幕の内弁当に箸をつけて食べ始めると、やはりお腹は空いていたようで、しかもお弁当の味がよく一口口に入れてからは箸を休めることなく完食してしまいました。お汁代わりも今日は二杯つくったほどです。

 

今はまだ寝るには目が冴えているのでブログを書いていますが、今まで知らないなんとも言えない独特の疲れを感じながら書いています。この疲れを描写してみたいと思うのですが、少し時間が必要です。こらから到着の時に開いたトランクの荷物を再び詰め直して明日の出発に控えようと思っています。母のことがあって日本に来ていますが、このことがなければできればしないで済ましたかった監禁状態です。しかし実際にやってみて、珍しい経験現場に立ち合わせられたと思っています。

 

 

明日、令和4年1月18日に日本に行きます

2022年1月18日

母が16日の日曜日に突然腹痛を起こし、救急車で病院に運ばれ、大腸に穴が空いているので、そこから汚物が漏れる恐れがあるので、今日明日の生死に関わることということで、担当の医師と妹のLINEで話をして、手術をすることにしました。

それから日曜日だというのに私が懇意にしているフジツアーズの石井さんが対おいしてくださいました。そして一番早く飛べ方法を捻出してくださり、火曜日に羽田に飛ぶ事ができる運びになりました。

ドイツで検査をして、それを日本の入国サイドの書類に記入しなければ日本が認めないので、夜の10時ごろ飛行場の検査場で検査をし、日本向けの書類を作ってもらう事ができました。

検査結果が次の朝スマートフォンに届いて、それを開くのに一苦労でしたが、なんとか開けて、それを旅行代理店のフジツアーズに送り、検査結果を下に初めて全日空に切符のお伺いをし今日の午後に発券の運びになり、明日の13時の飛行機でフランクフルトを発ちます。

コロナ禍の中での旅行はワクチン接種がまず必要で、それに72時間有効な検査結果を提出して初めて切符を申し込むところにたどり着きます。

料理で最後に仕上げるところでの油断していたら台無しになってしまうのによく似ていて、検査しても、切符の発券が遅れれば、検査結果が無効になってしまうので、その二つの掛け合いが絶妙のタイミングで行われないと、実際に飛べないのが今日の海外旅行です。

日本に着く前にしっかりくたびれました。

さて今回の日本行きを演出した母の直腸の破裂は、穴が何かに抑えられていて、汚物が体内に流れ出ていなかったことが手術の成功につながっていた様です。手術で亡くなる様なことは絶対にとは言えないですが、まずないと思います、と勇気づけられたものの、九十五歳の母が全身麻酔、お腹にメスが入ることなどをどのように凌げるのかはやはり一種間かけの様なもので、終わるまでなんとも言えない宙ぶらりんの状態でした。妹から「手術はうまく行きました」と連絡が来たときには気が緩んでしまいました。医師の話では、とりあえずは一ヶ月くらいの予定で退院を考えていますということでした。

 

日本に着いてもすぐに逗子に向かえるのではなく、初めの六日間はホテルに強制滞在です。部屋を出てもいけないという人もいましたから、かなりきついものになりそうです。その後もプライベートで迎えが来て自宅に帰れるのですが、四日間は自宅待機で外出はおろか、買い物に行くことすら許されません。十日目で晴れて自由の身となります。今はまだドイツの自宅ですから、明日の朝から始まるコロナ禍の日本旅行がどんなものになるのか、ワクワクしています。

こんな時期に旅行なんかは出来ないと思っていたのですが、母の病気で日本に引っ張られました。私の考えたところで行動に移していたら、まだ一年くらいは日本に行くことはなかったと思います。

母が私に何を見せたがっているのか。それをたっぷり味わってみようと思います。

 

LINEで友人たちに、母が直腸の破裂で入院し手術をすることを報告したら、早速たくさんのお返事をいただきました。そして無事手術が終わったことを報告した時も皆さんから楽しいお返事をいただきました。

多くの方に見守られての手術だったのだと振り返って、感謝しています。

ありがとうございました。

いつ母に会えるのか分かりませんが、明日日本に向かいます。一ヶ月後に飛ぶ飛行機を予約してありますが、実際にはオープンです。

 

 

一般人間学から普遍人間学へ、シュタイナーの口調について

2022年1月11日

私は人の話を聞くときに、その人が何を言っているのかを聞いていない事があります。では何を聞いているのかというとその人の語り口調です。講演会などでも眠ったように見えるので、注意をされた事があるほどです。言っておきますが、ちゃんと聞いているのです。ただ聞き方が他の人たちと少し違うだけです。

数人で話をしているときなどにも「仲さん聞いていますか」と釘を刺される事があるのですが、失礼なことです。聞いていないように見えて聞いているものなのです。ですから質問されたりすると、そのことに返事ができるのです。

 

私が聞いているのは、すで言いましたが、内容的な何をではなく、その内容を伝えようとしている乗り物である口調であり、話している人の声の質とか語り口調です。話し手のオーラと言ってもいいのでしょうが、そういうと大袈裟に聞こえてしまうので、雰囲気と言っておきます。あるいは今日的には空気でしょうか。声紋をとれば、その人の基本の声は指紋の時と同じに変わらないのでしょうが、日によって体調によって声の張り、艶そして響きは違います。その辺を話を聞きながら楽しんでいるのです。私的には、そのほうが話全体がよく掴め、分かるのです。

 

シュタイナーの翻訳で一番訳したいのはこの口調を伝えることです。シュタイナー的な余韻のある口調です。この口調を訳せなかったら訳す必要はないと考えています。講演集の中で何を言っていたのかは、すでに二つの優れた翻訳がありますからそれにあたっていただければ用が足ります。新田義之氏のものと高橋巌氏のものの二つの翻訳で十分足りていると思います。

 

シュタイナーの口調を訳そうという試みです。勿論ドイツ語なのですが、シュタイナー口調はドイツ人にとっても珍しいもので、すごく付き合いにくい口調です。独特の言語リズムがあると言ってもいいでしょう。今日のように単刀直入に手短に伝えようとするのとは全く違います。その事が習慣になっている現代ドイツ語にとっては厄介極まりないものなのです。なんでこんな言い方をしなければならないのかと文句を言う人は後を断ちません。もちろんシュタイナーの現代語訳という代物があります。

彼の口調は、まるでおろし機で野菜を粉々にしてしまうようなところがあり、それをつなげるにはしっかりした語学力が要求されますから他の人が真似をしたら頓珍漢な、グロテスクな文章になってしまいます。結局いつも言っているように、「用件を足すことだけが言葉の使命ではない」というところに行き着くと思います。

 

俳句を和歌にして詠ったらどうなるでしょう。意味は伝わるかもしれませんが、和歌になった俳句は全く意味がないのです。伝わっていると思われている意味にしても実際は伝わっているようで伝わってはいないのです。

「五月雨を集めてはやし最上川」と言う俳句を例に取ると、雨で水嵩の増した最上川の様子は伝えられても、俳句になったときの緊張感、充実感、風景の中の作者は和歌に置き換えられてしまえば全く違うものになってしまうでしょうし、言葉遣いからして違ってくるはずです。ましてや散文で言える様なものではありません。

言葉の口調もそんなところです。シユタイナーの口調はもちろんドイツ語以外では絶対に生まれなかったものです。それば訳そうとしても、オランダ語でも英語で、フランス語でもイタリア語でもスペイン語でもできないのです。意味を重視して訳すと、口調は犠牲になって全然違う文章になってしまいます。それでも伝わっているものはあるのです。文章は今日では用件を伝えるための道具なのです。文章がオーラを持っていてそこから感じ取ることなどは忘れられてしまったのです。

 

そこをなんとか日本語でやってみたかったのです。ただ好事家の趣味に過ぎないと言われるものなのかもしれません。ですからいつも、「本当にやる意味があるのか」という疑問を抱えながらの仕事でした。そんなものを知りたがっている人はどこにいるのかと思った瞬間に、翻訳する喜びが消えてしまう事がよくありました。用が足されていればよしとされるのならそれでいい様な気になり、旧来の翻訳に戻ってしまうのです。

ドイツ語での経験を生かしてシユタイナーの息遣いが伝えられ、その息遣いの中で理解できたらというのか私の願いでした。シュタイナーが言っていることは息遣い以外では伝えられないと思っていたからなのです。ただ本当にそこまでやる必要は本当にあるのだろうかと動揺しながらの仕事と言えます。