神様の話、自由の話、実は後藤淳子さんから学んだこと

2018年2月7日

「神」を辞書で引くと取り敢えずは出てきます。ところが、それで分かったかというと分からないままです。なにが分かって何が分からないのかというと、一般に神と言う言葉がどう使われているのか、そんな様子は見えて来ます。しかし神とは何かという、本当に知りたいことは素通りです。

しかし辞書に責任があるのではなく、誰に聞いても、何処に居るのか、ましてや居るのか居ないのかすら分からないわけですから仕方がありません。それなのに名前だけはしっかりあるのが神ですから、なんとも珍しい存在です。

 

「信じている人には居て、信じていない人には居ない」主観的なものということです。信じるから居るのです。信仰の向こうに見えてくるものです。信仰があるところに向こうからやってくるものです。ですから信仰のないところに神は居ないのですが、あたかも客観的な存在として、信仰以前に神を定めてしまう考え方もあったりして驚く事があります。

客観的なものとしての神を持ち出されるとハラハラしてしまいます。神はいるのだと何の前提もなく持ち出すわけです。そうなった時、神は誰彼の区別なく万人にとって絶対的なものとして扱われて来ますから、暴力的な押し付けになって、押し付けられたら逃げ場がなくなってしまい、精神的に窒息します。

 

 

神と似ているものがあります。自由について考える時です。

自由も主観的なもので、それぞれの人が自分の自由を持つというのか、感じるのです。ここには自由があります、などと言っている人を時折見かけますが、首を傾げてしまいます。万人にとっての自由なんてあるものではないはずですから、そこでいう自由とは何なのでしょう。

誰かが勝手に決めた自由のはずです。それを他人に押し付けるのでから、自由とは名ばかりの暴力でしょう。コレが自由で、コウすれば自由になりますということで、強制ですから自由とは全く逆のものです。

自由とは主観的なものですが、一つ条件があります。それはまず自分が生きる上で不自由を感じるところを持たなければならないということです。ここで不自由と言っているものは分かりにくいかもしれませんが、不自由と自由の関係は、信仰の向こうに神が見えて来るようなものです。自分の中に不自由を感じること。しかし一体いつ不自由を感じるのかと言うのは、分かっているようで誤解していることが多いようです。

不平不満が不自由と思っている人がいますが、それは要求が満たされていないことへの不満に過ぎないので、不自由とはいえ軽傷です。驚くなかれ、満たされていることに不自由を感じることだってあるのです。ですから、満たされていないことと不自由とは似ていても論じる土俵が全く違うのです。

では不自由はどんな時に感じるのでしょう。自分が自分に対して不満を感じる時、自分が自分に飽き足らない時だと私は思っています。普通の不平不満とは違って、外に向かって不満をぶちまけるのではなく、自分自身に向かって不平不満を言う時、不自由が浮かび上がって来ます。そこで私たちは不自由と対峙することになります。向かい合うのです。自分の分身と呼んでいいものが現れ、それと向かい合うのです。

この分身と戦うこと、自分自身に向かって不平不満をぶつけることが自由への道であって、自由とは形のあるものではなくいつもプロセスとしてしか現れないものなのです。ですから、ここには自由がありますと言う言い方ほど自由から遠いいものはないと言うことになるのです。

自分自身への不満、それは自分という枠に他ならないのです。自分とはこれだけの存在なんだと呆れるわけです。

失望です。自分自身に失望する自分、それを支えてくれるものは何でしょう。

自分自身に失望しきった自分をも何かが支えてくれていると感じられる時、その支えてくれているものを何と呼んだらいいのでしょう。

それは信仰です。そしてその信仰が筋金入りであれば向こうから神が現れるのです。

その神は具体的で立派な現実です。

ただし私自身にとってということなのです。

 

 

後藤淳子さんが一昨年の八月、脳失血で倒られその後一年三ヶ月余りを意識不明の状態でおられた間、私は何度か折を見てお見舞いに伺いました。言葉ではない対話をしながら、共に歩んだ二十五年を何度も振り返りました。後藤淳子さんは私を見つめ、手を握りしめて何かを訴えておられました。その度に後藤淳子さんからのメッセージ「信仰」という言葉が私の心の中をよぎってゆきました。後藤淳子さんの生き様は正に「信仰」に貫かれていました。その信仰の向こうに何をご覧になられておられたのか、今となっては知る由もありません。でも哲学的に語ることは決してしなかった後藤淳子さんが、その時は無言の中で哲学的に語られているような気がしてなりませんでした。

ご冥福をお祈りいたします                                  合掌

 

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