レオ・スレザークの語るような歌

2018年2月9日

レオ・スレザークの歌は別格です。ぜひ多くの方に聞いていただきたいと願っています。

戦前にヨーロッパのオペラ界で活躍したテナーですが、ドイツ歌曲の歌い手としても名声を博しました。今日では、知る人ぞ知るという好事家の対象になったと言うのならまだしも、この歌い手の歌い方に昨今の音楽の常識が焦点を合せられなくなってしまって名前すら出てこないという状態で、忘れられた歌い手です。

私がこの歌い手を紹介するのは、彼のように歌う歌い手、歌える歌い手が現在どこを見渡してもいないという理由からです。なんだそんなことかと言われ片付けられてしまうことかもしれませんが、私にとってこれは大問題なのです。

本当に大問題なのです。それは何もドイツの歌い手の世界だけの問題ではないと考えているからです。そんな狭い了見でものを見ているのではありません。今日の音楽、特に歌は発生の面で危機に面していて、そこに一石を投じることがスレザークの歌にはあると考えているので、スレザークを忘れた音楽界に物申し、音楽の根本に新たな光を当てたいと考えるのです。音楽という芸術のあり方にとっても、とても健全なことだと考えています。ひいては芸術全般にもそして人生観を変えるにも良い刺激になるに違いありません。

 

先日の声について述べたブログ「声のすすめ」の最後のところで、「吸う声」について述べておきました。「吸う声」というのは、力んだ無駄な力を抜いた所で本来の力が一番発揮できるのだということの、私流の言い方です。

スレザークはその「吸う声」で歌った数少ない歌い手です。ですから最近のYouTubeにアップされたものを通してその声に接することができる利点を活用し、多くの人に「吸う声」を体験してもらえたらと願ってこの文章をしたためています。最後に彼の声の聞けるYouTubeを紹介しておきますのでぜひ聞いてみて下さい。

 

スレザークの「吸う声」はどう言うものかと言うと、こればかりは実際に聞いていただくのが一番なのですが、非常に滑らかです。しかも聞き手を包み込むような広がりがあり、歌詞の言葉がとても聞きやすく、言葉の美しさにうっとりさせられます。ただ時々、これが私の苦手としているところでもあるのですが、オペラを歌った歌い手たちの悪い癖で張り上げてしまいます。悲しいかなオペラを歌った人が身につけてしまう悪い癖ですが、この部分を抜けば、彼の歌は静かで、しっとりしていて、繰り返し聞いても疲れない歌だといえます。この声で歌われた歌詞の言葉はには力があり、語りかけられているようで、安心して歌に身を預けて聞いていられるのがいつも不思議です。

 

昨今のオペラ歌手たちの張り上げる声はどうして作られるのかと言うと、彼らの発声法は声の響きを求めているためです。よく響く声と言う意味です。そのため音響効果に囚われて、言葉の響きを置き去りにし、さらに声を楽器として扱うため、言葉のための声から遠ざかって、響のための声になってしまい、多くの方が経験しておられる様に、言葉が歌われているのに何を歌っているのか分からないと言う悲劇が生まれます。

スレザークの歌う歌の場合はそんなことはなく、言葉がはっきりと聞こえます。しかも語られているように聞こえるのです。声が音響のための道具ではなく、言葉のための道具だからです。そして聞いている側にとっては、ほかの歌い手に歌われた同じ歌詞と比べてみるとよくわかるのですが、スレザークの歌には言葉に説得力がありこちらに伝わって来るのです。

音楽学校の歌指導の中には今日でも「語るように歌う」という意識はあります。誰もがそのことの重要性を頭で知識として理解しているはずなのですが、実際の声作りの段になると、音響効果が優先され、楽器化してしまい、現実には張り上げるように指導されてしまうのです。しかもそれが今日の音楽教育では歌い手の声として高く評価されているので、学生たちは当然そちらを目指します。

ということは、スレザークのように歌ったら、今日の音大は卒業できないということでもあるのです。スレザークが好きになって、あのように歌いたいと思ったら指導の先生方に相手にされませんから音大をやめざるをえないわけです。今日スレザークのように歌える歌い手が世界中探してもいないのはそのためです。

ここで補足しなければならないことがあります。

実を言うと、今日一人もいないと言いましたが、彼が活躍した当時も彼のように歌える歌手は数少なかったのです。ここでは歌の神様とまで言われた、ロシアのバス、シャリアピンを「吸う声の持ち主」の一人として挙げるにとどめますが、「吸う声」は当時ですら本当にわずかだったのです。と言うことは、西洋の歌の世界ではもう長いこと「吸う声で歌う」ということは忘れられてしまっていたと言っていいのかもしれません。時たま「吸う声」を持って生まれた人が「吸う声」歌えたと言うことのようです。スレザークは生まれながらにしてその声に恵まれていたのでしょう。彼の歌は歌なのにまるで語りかけられているように聞こえてグイクイと引き込まれてしまいます。

 

 

「吸う声」。これは何も歌だけの事ではなく、私たちが普段話をするときにも考えていい事のはずです。「吸う声」で話せば、聞き手を引き込むことができるのです。今日の様に吐く息だけで言葉にしてしまうと、声は硬いものになって、相手にぶつかってしまいます。言葉は聞きづらくなりそのため相手がバリアを張って警戒するので、言葉が相手に伝わらなくなってしまいます。今日の声楽家たちの声も基本的には吐く息からの声で、そのため言葉が聞き取りにくいことを思い出していただけると、私が言いたい事が多少でもご理解いただけるのではないかと思います。「吸う声」は聞いてもらえる声の事でもあります。

 

YouTubeで聞けるスレザークの歌を最後に紹介します。

Leo Slezak sings ‘Nacht und Träume’ (Schubert)

Leo Slezak sings ‘Mondnacht’ (Schumann)

R.Strauss – Morgen! – Leo Slezak

これだけ見れば関連のところにスレザークのほかの歌もありますから、いろいろと聞いてみて下さい。

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