一神教をめぐって

2023年11月21日

声のことは一休みして、今日は一神教について考えてみたいと思います。

 

日本は八百万の神の住まわれるところです。一神教はこの八百万とは違って崇むべき神は一つと決められたものです。それ以外の紙を信じるものは抹殺されてしまうのです。今日ではキリスト教、ユダヤ教、イスラム教が一神教と言われています。歴史を峰とこの殺戮の繰り返しだということがよくわかります。自分たちが信じる神様以外は認めないというのが基本ですから、非常に排他的です。融合するということはなく水と油ですから交わることはありません。

ただしこれはあくまでも教義であって、個人的にはキリスト教徒でも豊かな信仰心によって他の宗教に対して寛容な方を多く知っています。

 

宗教から離れますが、共産主義に支えられた社会主義国は一神教そっくりです。自身の主義主張以外は何も認めないですから、宗教裁判ではなく政治犯として葬るわけですから危険思想と言われても仕方がないようです。マルクスは宗教はアヘンだと言いましたが、まるでブーメランのようにマルクス自身に向かって帰ってきて、共産主義はアヘンだというオチがついてしまったのではないかという気がしています。

一神教のもとで正当化された殺人が膨大な数に上るのをみると、一神教にはどこかに誤りがあるのではないかという気がしてならないのです。宗教は就中、一神教的要素の濃いものです。ですから基本的には一神教なのだと思っています。その意味で仏教は、宗教から外されることがあります。もちろん日本の八百万の神のおわせます神道も宗教ではないと考える方が妥当なのかもしれません。

こうした宗教のフォルム、形式と個人の信仰心は別のものですから、一神教の中にいても、それを克服する信仰心があれば寛容な世界観を持つようになれるはずです。

世界を一神教が支配しているというよりも、人類は一神教が好きなのではないかと思いたくなります。特に支配階級にとっては一神教的な制度は非常に効率の良い合理的なものに違いないのです。

宗教ばかりでなく、今日のメディアなども一つの意見にまとめられて報道されているようですから、ここにも一神教は影を落としているので、メディアは擬似一神教としか言いようがないようです。

 

 

 

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