今年の元旦

2024年1月2日

今年の始まりはこんなふうでした。

大晦日の十二時に始まる街ぐるみの花火で幕開けました。市が市の予算を使って主催するものではなく、個人が自分のお財布でロケット花火を買い、その花火を好き勝手に打ち上げるのですが、約束されているのは、夜中の十二時過ぎてということだけです。時間はそれほど厳密には守られていませんでしたが、それはそれは大変なイヴェントでした。

朝は息子の家族と普通の朝食とりました。バーガーパンというハンバーガーの時のふわふわパンがあって、それに「あんこ」をつけて、あんぱんにして食べました。お昼は前から予定していた家族ぐるみで作る餃子の昼食会でした。四人の大人と三人の孫で百二十くらいをぺろりと食べてしまいました。

午後は孫たちが散歩に出掛けている間に以前から孫と約束していた、糸電話を作りました。よく聞こえるのに孫は驚いていました。ただ糸がピンと張っていないとうまくゆかないので、五歳の孫たちには少し難しいところがありました。

そして夜はお赤飯の夕食の後、珍しいことに映画を見に行くことにしました。ヴィム・ヴェンダースの新しい映画「Perfekt Days」です。日本んの人たちが作った日本映画ですが、ヴェンダースが監督を務めています。

トイレ掃除をするひとりの変わり者のごくありふれた日常を巡ってが映像化されています。ドキュメントではなく映画です。主演の別所広司はこれでカンヌの主演男優賞をもらっています。日本のトイレ掃除はいささか特殊な状況にあるものと言えます。ある名古屋の会社の社長さんが毎朝公園のトイレの掃除をしてから出勤するというあたりから始まって、トイレ掃除が半ば精神修行に見立てられているようなところがあり、ヴィム・ヴェンタースはそこに目をつけ、お能や、古代ギリシャ劇に見られる特殊な手法で映画を作り上げていました。

少し補うと、お能という劇は主役が台詞で状況を説明するのではなく、舞台の脇の謡が物語の経過を歌いながら観客に知らしめるのです。古代のギリシャ劇もよく似ていて、コロス(今日のコーラスの元々の形)が劇のあらすじを説明します。この映画では、七十年代、八十年代に流行ったロック音楽であらすじを語らせるという手法が取られ、とにかく喋らない主役が、日本的な無口を余すところなく表現していて爽快でした。喋らないっていいなぁー、とつくづく思いました。

映画の内容は実に日本的です。そして流れも初めから終わりまで淡々としています。場面は言葉で説明されない文印象的です。出だしから全然ドラマチックではなく、なんとなく始まり、終わりもこれといった終着のドラマがあるわけではなく、まるで川端康成の小説を読んでいるように、どこからか来て、どこかに去って行くという感じでしたが、観客は映画の最後まで席を立つことなく静かに余韻を味わっていました。年齢層は私の年恰好の人が多かったようです。元旦に絵画を見るなんて、と思いながら、思い切って見に行ってよかったです。

今年の始まりはこんな感じでした。まだまだ未来から何が飛び込んでくるかわかりません。何が来てもどっしりと受け止めようと思っています。

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