人生とは、伝記とは

2024年1月12日

生きるって何なのかを知るためには伝記を読めと若い頃に言われたことがあります。随分昔のことで、誰に言われたのは記憶にないのですが、それで伝記なるものを読み始めました。しかしいくつか読むと、書き手の人生解釈が気になり閉口してしまいました。同時に自伝というものも読んだのですが、自らの人生をカタチにしようとしているところが出てくると本を閉じてしまい、続けられずにいつの間にか伝記、自伝を読むことは止めていました。

ただ伝記を読んで鼓舞されたという話も知っています。ある中学校の校長先生の話です。その先生は荒れた学校に転勤になってしまいました。そこで始めたのが月曜日の全校朝礼の時に、毎回歴史に名前を残すようなことをした人たちの生涯をコンパクトに話し続けたのだそうです。その成果は意外と早くきたということでした。しばらくすると、あの時の人のようなことはどのような勉強をするのですかという質問が来るようになったというのです。以前に比べる進学する高校が変わってきたということです。荒れた学校を風紀を厳しくすることで締め付けてよくすることはできないと思った時に降ってきたアイデアだということでしたが、先生は奮起して伝記を改めて読んでみると、思春期の子どもたちには格好の材料のように見えて、試すつもりで始めたのだそうです。これから人生の荒波に向かう若者たちには、一つの目標になったのでしょう。教育的に見れば伝記の持つ力に助けられたと言っていました。

もう一つ伝記を読んでよかったことを書きます。

私が興味を持っている人となるとこの伝記嫌いが逆に十冊以上読んでいます。音楽が好きなので、モーツァルトとシューベルトの伝記です。なぜそんなことをしたのかというと、書き手の立場が違うことでどのような人物像が作られるのかに興味があったからです。

読んでいると、パターンに捉われない勇気のある書き手のものが一番ワクワクします。伝記のパターンから外れているものです。一人の人間についてこんなにたくさんの、しかも違った見方があるのだという発見も驚きでした。もし一冊しか読んでいなかったらと思うとゾッとします。この読み方は今まで人生の中でとても参考になったものです。一冊の本を繰り返し読むのに似ています。一人の人間に対してこんなにも違った見方があり、表現に使われる言葉ももちろん違うので、言葉にも起用が持てるようになりました。見方によって違っていてそれでいいのだという体験でした。

こうしてみると、私の中で伝記は役に立つものとして位置付けられているのですが、「ただし」と条件付きです。ある一人の人の伝記を読むのなら、その人に書かれたものを最低でも十冊は読んでほしいということです。

最後に伝記に関して気になることは、伝記というジャンルの本を読む人は今もいるのかということです。そして逆に伝記を書くとしたらどのように書いたらいいのでしょうか。やはり出生、幼児期から始まって、成長段階を出身校などを並べて英勇談に仕立てて書くのでしょうか。そしてお金持ちに憧れる時代ですから、最後はいくら稼ぎがあった、遺産はいくらだったと締めくくるのでしょうか。

最近の現象ですが、若い人が自伝を書きます。何だか変です。

倫理観の押し付けでないもの、成功談、失敗談というおざなりのものでない人生に今の時代は興味があるのかどうか、これも気になります。

ある人が生きた人生を考えるとき、しなければならない手続きは時代的環境を調べることです。どんな時代を生きたのかです。これを無視すると今の価値観を押し付けてしまいます。今の時代に都合のいい人生を、過去のある時代を生きたその人物に押し付けることになってしまいます。

そしてその人物にとって、時間がどのように流れていたのかも考証していただきたいものです。これは難しそうです。

こんなところが伝記で言い表されたらいいのですが、私の高望みでしょうか。

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