ポエジィーのこと、あるいはリズムのこと

2013年7月19日

ポエジィーの意味は「凝縮した状態」です。と言うことは、韻文であろうと散文であろうと構わないのは勿論、絵であろうと音楽であろうとダンスであろうと、ポエジィーはどこにでも見出されるのです。

凝縮したというのは物理的なイメージ゛ですが、他に大都会の満員電車の様にぎっしり詰まっているものでもあり、家を建てようとしている時にイメージがだんだん具体的になる、そんな感じです。

反対は間延びがしている、隙間だらけ、ぼんやりしている、曖昧なということかもしれません。

 日本語ではポエジィーは詩情のことを言います。

詩情豊かな言葉は選び抜かれています。どの言葉にするかと選ぶプロセスが詩作の楽しみであり、それがまさにポエジィーです。

 

詩の命、韻文でも散文でもいいのですが、それはリズムです。

詩が何を言おうとしているのかと言うことも大事ですが、それをリズムで表現できたらどれほど素晴らしいことでしょう。

でもそれをするのが言葉の芸術の妙味といえそうです。

 

昔色をテーマにお話しをしたことがあります。その講演会には難聴の方が聞きにいらしてくださいました。勿論手話の通訳の方が私の話しを手話に変えていらっしゃいました。いろいろと色のことを話しをしたあ後でその方に「色ってなんですか」と聞いてみました。唐突な質問にいやな顔一つしないで、すかさず両手を握りしめて胸の前で右の拳を左の拳に上下にトントントンという仕草をされるのです。通訳の方が「リズム」と仰っていますというのを聞いて私は溜飲が落ちる思いがしたものです。

「色とは静止した動き」これはシュタイナーの名言集に載せたい程本質を付いている言葉です。これと同じことを「リズム」と言う言葉に込めておっしゃっている様な気がしたのです。

 

昔から絵には動きがあると感じていました。いい絵かそうでないかはいつも絵かからどの様なリズムを感じるかで決めていました。戦争の悲惨さを描いた様な、テーマの講釈が長々と描かれている様な絵の前でも、テーマを書くために絵を描いている様な絵には関心がなく、いつも絵としてのリズムがわたしを捉えるのです。色と形でがリズムを作ります。そのリズムが意味を生み出しているかどうかというところです。

友人の絵描きが、「絵をいじりすぎると堅くなる」といつもぼやいていました。「素人目には綺麗になって行く様に見えるかもしれないが、絵は死んでゆくこともある」と言うのです。リズムが無くなってしまうと言いたいのでしょう。彼はその時浜辺に停泊している壊れた船を書いていました。決して動くことのない船ですが、絵は動いていました。

 

思考もリズムです。ものを考えることが苦手な人がいますが、そういう人を見ていると、私もそうなのでよく解るのですが、思考が動いていません。それで考えがまとまらないのです。考えをまとめようとしているとまとまりません。リズムが動きとなって考えをまとめてくれると言えるかもしれません。考えが停止してしまうのは意味に捕らわれるからです。意味に捕らわれるところから解放されないと考えることはできないものです。

 

最近見たバレーでもよく似た印象を持ちました。動くことの美しさではなく、意味を動きで表現しようとしている様に感じられました。パントマイムの様なものと言うと怒られてしまうと思いますが、もうバレーではない様に思えて仕方ありませんでした。

 

詩を読んでいても言葉のリズムを感じる詩と言うのは少ないものです。できのよくない詩は意味が先行しています。

言葉とイメージの両方にれズムがないといい詩は生まれないものです。

 

韻文で書かれた朗々とした流れの中で言葉が舞いあがる様な詩を読んでみたいと思います。

柿本人麻呂の長歌から味わえる様なマジックに掛ってみたいと思うのです。

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