手仕事の妙味

2013年7月25日

文明が進み、機械化が進み、大量に生産され単価が安い方が好まれる様になると自然と手仕事、手作りの世界は縮小してしまいます。今は手作りのものは希少価値です。

ところが最近になってドイツでは編み物が復活してきています。

何年か前には、明日はもうこのお店なくなっているかもしれないと思いながら通りかけた毛糸屋さんが、最近のブームのおかげで、店頭は綺麗になり、ショウウィンドウも派手にディスプレイされて、店内はいつも人であふれています。夏場はさすがに毛糸のセーターを編む人は少ないので、ショウウィンドウに並んでいるのは毛糸ではなく、絹と麻と木綿が主になっています。

ショウウィンドウに飾られたセーターの片隅に綺麗なレース編みのテーブルクロスがテーブルに掛けられてあり、通りかかっただけなのに目に飛び込んでくるのです。

実は私の特技は裁縫と編み物で、この二つは一応はこなせるのですが、レース編みだけは習う機会を逸してしまい、いまだにできない分野として残っているものなのです。そんなコンプレックスが働いたのか、そこに飾ってあったレース編みのテーブルクロスが気になって仕方がなかったのかもしれません。

思い切って店内に入りそのテーブルクロスを近くで見てみたいと申し出ると、店の人は「本気ですか」と言わんばかりの怪訝な顔をしています。もう一度はっきり言うと、しぶしぶ「はい」と言う返事が帰って来て、私をそのテーブルクロスの方に連れて行ってくれました。

近くで見るとゾクゾクするような細い糸で、しかも細かく編まれています。

「これは手編みで、相当古いものだそうです」と説明してくれて、私がすぐにでも「おいくらですか」と聞きそうなオーラを発していたのか「残念ですが売りものではありません」と言われてしまいました。

だんだん私が本気で、しかも相当気に入っていることが解ったのか、丁寧に説明が始まりました。

「これだけ細い糸は今は作られていませんし、仮にあったとしてもそのためのカギ棒がありません」と言うことでした。

「これを作るためには相当時間がかかっていて、それを自給に換算したら飛んでもない金額になってしまいます」

直径一メートル以上の丸いテーブルのためのクロスで、糸の細さ、模様の細かさからしてどのくらいの時間を費やしたのかと心の中でため息をつきながら見ていました。

「売りもののテーブルクロスはありますか」と聞くとすぐに持って来てくれました。

お店の人が他のものを取りに行っている間中それと古いものを比べてみたのですが何かが違います。

勿論機械編みにはどこかにかたさがあります。手編みの様なしなやかさが感じられません。手に取らなくても手編みのレース編みの出来あがりがしなやかなことは一目瞭然、解ります。

 

手作りのものにはそれを作った人が費やした時間が生きています。その時の思いも入っているかもしれません。

手編みのあのレースのテーブルクロスから浮き上がっていた、言葉にならない雰囲気は、編んだ人の気持ちがまだその中に生きていたということだったのかもしれません。

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