先入観より存在感

2013年7月27日

何かの折に存在を感じることがあります。そこに何かが在る、今ここに何かが存在しているという感じです。とてもインパクトのある感触です。心の中ぐらっとすることもあります。

人は勿論ですが、物にも、音楽にも、絵にも、演劇にも、時には景色にすらほとんど同じ様な存在を感じることがあります。

 

その人と出会えてよかったという感触です。いや、それ以上です。その人に、その物に出会っていなかったら私の人生は違うものになっていたに違いない、と言う感触です。出会って良かったということですから、あっていなかったらどんな人生になっていやらと言う悲観的なものではありません。

 

それは向こうからやって来ます。こちらから求めていたものがあって、それが手に入ったりした時とは全く違う感触です。

音楽ならずっと聴きたいと思っていた音楽を聞くことができた時に味わう満足感がありますが、それとは違います。

むしろ不意を打たれるという状況の中で起こることです。自分の予定外からの方が存在という感触が得やすい様な気がします。それは自分が先入観を持たずにその物と向き合っているということから来るのでしょう。

 

始めての町を旅行する時に、前もっていろいろと調べて旅立つというのも一つの方法ですが、そうでなく、悪くいえば行き当りばったりの様な旅行も乙なものです。

旅行の後で本などでその町には珍しいものが在ったことを知ることがあります。そんな時はすこし悔しい思いになりますが、一瞬のことで、冷静に思いかえすと、出会うべくして出会えた人や物の方がずっと価値のあるものに違いないのです。それは先入観から解放されたリアルな体験です。このリアル感は何物にも代えがたいものです。

存在感はそれに近いです。

 

計画して行った旅行にもリアルな体験はあります。

あの美術館に行ってあの絵を見てと計画するのは楽しいものです。本でしか知らない絵の本物が今目の前にある。これは体中が戦慄する喜びです。そしてそれが本当に素晴らしいもので、絵の持っているオーラに打ちひしがれることだってあります。そのオリジナルな絵に期待以上のものがあったからです。先入観を超えていたからです。

これもリアルな体験で存在感を感じたものです。

 

 

 

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