金曜版 3 パコ・デ・ルチアのアテンフェス協奏曲

2014年4月18日

パコ・デ・ルチア(1947-2014)に心から感謝の言葉を捧げます。ありがとうございました。

パコ・デ・ルチアはギターに霊魂を注ぎ込みました。ギターはそもそも魂の孤独に寄り添い、その孤独をじっと聞いてくれます。パコ・デ・ルチアもギターから生まれる孤独を音にします。しかし気分としての孤独でなく、人間存在の孤独な魂のありのままを音にします。それができた稀有なギターリストでした。彼の指によってはじかれた音は息を吹き込まれ、生命を得ます。命を持った音だけが聞き手の琴線に触れます。パコ・デ・ルチアは聞き手の琴線に触れる音を生み出せた数少ない演奏家の一人でした。

彼のギターの音を聞いたことのある人は、その音が彼からしか生まれ得なかった音だ知っています。彼以前にも、これからも聞くことができない、彼だけに許された音です。一方で私には彼のギターの音はスペイン人の魂とスペインの土壌からしか生まれない生粋のスペインの音にも聞こえるのです。勿論スペインのギターリストたちがみんな彼のように弾くことはありません。彼のように弾ける人はスペインを探しても見つからないでしょう。パコ・デ・ルチアの音は彼の生きざまを通して彼の個性がスペインという気質と土壌の中でかもし出されたもので、パコ・デ・ルチアの音から時には闘牛のマタドールの闘牛と戯れる高貴な動きが見えてきます。時にはドンキホーテーの憂いに満ちた高貴な孤独が聞こえて来るのです。

 

パコ・デ・ルチアはフラメンコギターから出発します。12歳で最初の録音をするほど早熟でした。その後ジャズフラメンコというスタイルを確立し、最後はスペインの作曲家によるクラシック音楽まで制覇します。

ギターの世界でジャンルを超えて演奏活動を行えたこと自体信じがたいことです。更にどのジャンルからも高い評価を得ていたとなるとそれは奇跡です。ギターの音を知り尽くした天才があったから成し遂げられた偉業といっていいと思います。

またパコ・デ・ルチアを語る時によく引き合いに出されるのが驚異的な演奏技術です。その超絶技巧は、精神的な孤独にささえられていました。ですから想像を絶する様な技巧ですが、衒いはなく、技巧が冴えれば冴えるほど孤独感が深まって行きます。四十年前に虎ノ門ホールで聞いた彼の演奏は修行僧その物でした。コンサートの後、家に帰るまでの間中、聞いたばかりの彼のギターの音が消化できない自分を持て余していたのを思い出します。

 

ホアキン・ロドリーゴのアランフェス協奏曲はギターの協奏曲の中でもっとも愛好されているギター協奏曲です。エキゾチックなスペイン的な響きは中央ヨーロッパからすると少し離れた印象があるのでしょう、たとえばドイツで演奏されることはほとんどなく、ドイツの有名な指揮者による録音すらありません。

パコ・デ・ルチアがこの曲を弾いたと聞いた時には首をかしげました。フラメンコギターリストがクラシックギターの曲を弾いてどうなるのかというジャンルへのこだわりを私が持っていたからです。スペインの片田舎のフラメンコのギターリストがこの曲弾いたところで民族音楽に染まったアランフェスに過ぎないと思いこんでいたのです。ところがCDを買って聞いて愕然としました。今まで聞いたことのない生きたアランフェス協奏曲が聞こえてきたのです。CDのブクレットの写真には演奏するパコ・デ・ルチアの隣に作曲者のロドリーゴが一緒に舞台の上で聞いています。

 

パコ・デ・ルチアは楽譜とは無縁の人です。耳で聞いた音が彼の唯一の手掛かりです。これは音楽にとってとても重要なことですが、今日クラシック音楽となると楽譜が絶対的な位置を占めています。クラシック音楽に属するこの協奏曲を彼は耳だけで覚えて弾きました。そこにはパコ・デ・ルチアと音楽とのあつい対話があります。一人の人間の音楽感性と音楽の信頼に満ちた対話が音楽となって聞こえて来ます。

一楽章は軽快なリズムを刻むギターの独奏から始まります。最初の数小節を聞いただけで体の中の血が騒ぎ始めていました。スペインが、スペインの光が音になっていたからです。初めて聞く軽み、リズムの切れのある安定、ストレートさ、それ等は正真正銘のスペインでありながらパコ・デ・ルチアという一人の人間によって見つけられた深さだったのです。迷いのない透明さに支えられたこの演奏は非の打ちどころのない世紀の演奏だと信じています(youtubeで見ることができますので是非パコ・デ・ルチア アランフェス協奏曲で検索してみてください)。

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