自由から自由に  

2014年7月25日

進路に迷っている青少年を集めて集団生活をさせているところの話です。

案外人気があって、随分高いお金を払って(私には法外な金額です)、日本中から来ているというのを聞いて、若い人たちは何を求めてそこに集まるのか、ふと老婆心から気になってしまいました。

そこのパンフレットなのですが、「ここには自由があります」というのが売りになっているようで、すぐに目に留まりました。驚きました。

そりゃ驚きますよ。自由というのはでき上ったものではないので、永遠に商品にならないものです。それなのにそこではパックされて売りものになっているのです。

自由もついにスーパーマーケットのようなところで売られる様になったんだと、ショックでした。

 

自由のことを知らないから、こんな破廉恥な事ができるのでしょうが、実に破廉恥です。

いきり立つ怒り衝動をなんとか抑えて、やっとのことで呼吸を整えて、そこの人たちにとって自由とは何なのだろうと考え始めています。今日の時点では、何をお考えになっていらっしゃるのか皆目見当がついていません。

 

話を少し一般化してみます。自由が商品になるというのはどう言うことでしょう。

自由だけでく最近は芸術も商品的に評価される様になっていますが、この二つの文化現象、芸術と自由は同じ根っこを持っている様な気がします。

ちなみに、岡倉天心、今の芸術大学の初代総長、は当時の学生に事あるごとに「売れる様なものは作るな」という意味のことを言い続けていたと読んだことがあります。

その頃は芸術が芸術として社会に存在していたようです。芸術は心の一番ピュアなところの創作活動なので、芸術をお金で売るということは、自分をお金で売る様なものなので、普通の意識では出来ないものです。岡倉天心もそこを戒めたのでしょう。

 

熊田千佳穂さんは90歳になって芽が出て世に知られる様になった絵描さんです。「自分の手法は神様から教えてもらったのだから、それをお金にすることはできない」と言って、そのお年まで極貧の生活を享受されていました。一部屋の家に住まわれ、その一つしかない部屋がある時は仕事場であり、ある時は寝室であり、ある時はリピングという家に住んでいらっしゃいました。、お亡くなりになる二年ほど前にお目にかかった時、芸術本来の姿を具現されている方という印象が強烈でした。岡倉天心の息のかかった最後の人でした。

 

芸術を売る、自由を売るなんて、お金が中心の社会、経済が権力を持つ現代社会の中でしかありえないことです。本来人間として恥ずかしくて出来ないことですが、お金が神様になり代わっている現代では、恥ずかしいどころか、それをしない人は馬鹿扱いされてしまうのです。

音楽のセンスのある人がいるように、スポーツのセンスがある人がいるように、文章の、語学のセンス、絵を描くセンスと同じ様なスタンスで自由のセンスがあります。人によって違うものです。才能かもしれません。でも、絵心の様に、歌心の様に、自由心なのです。 

自由は解放されるときにだけあたかも存在しているかの様に感じられるものですが、それ以外の時には何処にあるのやら。自由のセンス、自由心は見えないものが見える様なものです。まさにセンスですから、見えないもので、見せてくれといわれても見せられるようなものではないのです。

 

それなのにここには自由がありますなんでいう人がいるんですから、しかもそれをモットーに、青少年を育てようと考えていらっしゃる様なので、ただただ空恐ろしいです。そんな中である期間を過ごしてしまえば、その若者たちは人生の指針を狂わされてしまいます。 

若者よ、自由のないところに入って行く勇気を持ってほしい。そしてそこにある不自由を解放しながら生きて行ってほしい。

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